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Channel: 身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌
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『陸軍軍医学校五十年史』

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陸軍軍医学校『陸軍軍医学校五十年史』(1936; 再刊、東京:不二出版、)
日本の陸軍の軍陣医学の歴史を研究したいという学生の推薦状を書くために、問題のあたりをつけようと思って『陸軍軍医学校五十年史』に目を通す。昭和11年に刊行されたものだが、731部隊の研究のブームのせいもあって、不二出版から再刊された。

基本的な情報を提供する以外に731部隊の研究にどの程度役に立つかは分からないが、非常に価値が高い書物であって、軍陣医学の色々なことが分かる。冒頭の写真がまず素晴らしい。近代化とハイテクについては、手術風景、実験室を写した写真がいい。衛生飛行機の写真が多いのは、この書物が最初に書かれた時期が、戦傷者の移動に飛行機を用いる革命的な新技術の導入と重なっていたからだろう。その一方で、日露戦争の時に前線に近い病院で篤志看護婦人が包帯の再生作業を行っている一連の画図は、ハイテクだけではなく、国民や社会ともつながっていた軍隊のあり方を示唆している。本文も貴重な資料が多く、「御前講義集」はすべて収録されており、講義で使われた興味深いデータなどが添えられている。また、『陸軍医学会雑誌』『軍医団雑誌』に陸軍の軍医が投稿した論文は一覧ですべて見ることができるようになっている。いまの大きな仕事が終わったら、一日、ぼうっとしてこの本を眺めて過ごしたいなあと思う。

画像は歩行の効率の生理学的な測定と包帯の再生。

ガダルカナルのアメリカ軍の神経症

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Lidz, Theodore, “Psychiatric Casualties from Guadalcanal: A Study of Reactions to Extreme Stress”, Psychiatry, vol.9 (1946), 193-213.
著者のリッツは、ホプキンスのマイヤーのもとで精神医学を学び、1942年に軍に入隊してガダルカナルの激闘のあとに後方の病院に送られた兵士たちを診察した。この論文はその観察の成果である。ガダルカナルをめぐる戦争の細部にわたって理解はしていないが、この論文を読むと、ガダルカナルはアメリカ軍にとっても激戦と消耗的な殺戮の場であったことがよく分かる。

アメリカ兵は常に恐怖と闘っていた。日本兵が降伏したふりをして米兵をおびき寄せて殺しているという噂も広まった。もともと「バターン死の行進」以来、日本兵の残虐性は知れ渡っており、捕虜になれば拷問のうえ殺戮されると彼らは信じていた。敗北は惨めで苦痛に満ちた死を意味した。

ガダルカナルのことを物語る兵士のストーリーはすさまじいもので、「エドガー・アラン・ポーとバック・ロジャースの最良の部分を足したようだ」と評されている。バック・ロジャースってなんだろうと思ってググったら、何かは分かったけれども、その意味はますます分からなくなった(笑) 検索するとこんな感じである。http://bit.ly/SfZwRT 

第二次世界大戦期アメリカの南太平洋後方病院における神経症患者

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Fisher, Edison D., “Psychoneurosis in the Armed Forces”, Bulletin of the U.S. Army Medical Department, vol.7, no.11 (1947), 939-947.
アメリカ軍の南太平洋の後送病院 (evacuation hospital) で、1944年の1月から7月まで神経症の患者であったものを500人調査したもの。質問する医師の暗示がないように、インタヴューは自由なものになるように努力した。後送病院に送られた患者たちは、戦闘義務を果たせなくなって前線から後方に送られた患者たちであろう。

この時期のアメリカの精神医学は、ボルティモアのマイヤーが指導してアメリカ流の力動精神医学が興隆した時代だから、この文脈でも神経症になった個人の生育環境が注目される。幸福な子供時代を過ごしたものは少なく、しばしば両親の片方を失っている。46%について、子供の頃の状態はよくない。心理的な問題は子供の頃から続き、駄々こね (tantrum), 夢遊病、夜尿症、爪咬みなどの異常があり、青年期には不安などに悩まされ、成人すると病的な感情状態は固定され、苦難を避けようとして自分の障害とされたものを利用することが始まる。現在はさまざまな神経症の症状があり、医師との会話からイアトロジェニックに障害を発しやすい。病院では快活にしてビタミンを多く含むダイエット、心理療法に作業療法、規律と規則正しい生活などを行う。1/4 くらいは治療する。これは、よい生育の背景を持ち、過酷なストレスによって発病し、急性反応が中心のものたちである。1/3 の患者は、生育の環境も悪く、発病にいたるストレスは軽いものであった。最終的に改善する見込みも低い。残りはこの二つの極のあいだに属する中間である。「これは良い数字ではないが、しかし患者にあらかじめ与えられている人格を超えて改善できると予想するのは理に適っていない」という最後の言明が、厳しいようだけれども、神経症の医療を機能させるためには守らねばならない原理だと考えられていたのだろう。「もともとの人格以上によくすることはできない」というのは、もちろん治療の失敗を糊塗する言い訳でもあると同時に、過度な期待を医者と自分自身について持つ傾向がある現代でも押さえなければならない格率の一つだろうな。

米軍プエルト・リコ兵士の精神障碍

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Kepecs, Joseph C., “Psychiatric Disorders in Puerto Rican Troops”, War Medicine, 8(1945), 244-249.

アメリカ軍の組織や配置のことが良く分からないが、それは後で調べることにして、「運河地域」のプエルト・リコ人の兵士の精神障碍について。プエルト・リコ人の神経症の患者を観察した結果と、平常時の民族としての性格を重ねあわせた視点であり、多民族からなる軍隊における精神医学的観察が人種精神医学の格好の観察場であったことが分かる。結論は、プエルト・リコ人は、経済・社会的に問題が山積している島嶼地域の出身で、そこには島国ゆえの孤立性もあって、強固な自我が育たないまま感情が未熟である人々が多い。そのため、感情の表出は素早く鮮明で、何か苦しみを黙って耐えるべきだという考えによって制限されていない。彼らの反応は大げさでヒステリー性である。もともと、軍隊に参加することの意味が分かっていない。最大の病気カテゴリーはヒステリーで、そのなかでパニック性発作(nervous attack)が目立った症状である。これらは、レトリカルな怒りであって、目標を達成するための暴力の顕示である。霊が関与しているという観念も多いし、100人のうち5人は夢遊病症状を示した。サイコパスも存在した。

マラリア蚊はスカーレット・オハラを刺したか?

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Mann, Charles C., 1493: Uncovering the New World Columbus Created (New York: Alfred Knopf, 2011)
優れた科学史ジャーナリストのチャールズ・マンは、コロンブスによるアメリカ「発見」直前の世界を描いた傑作『1491』を書いて高い評価を受け、その続編である『1493』も出した。『1491』もそうであったが、これも世界システム論とクロスビーを織りあわせた話で、経済と生態系と病気の視点で世界史を観る一般書である。非常に感心したのが、主題として取り上げる感染症の選択の話である。アメリカ大陸の原住民の殲滅の話をするときには、ふつう天然痘に代表される急性感染症の話をすることが多いし、私もそうしている。しかし、この本ではマラリアを取り上げている。マラリアのほうが、アフリカとヨーロッパという広がりを持っていること、また、奴隷制と大農場という社会の経済的な根幹の形成を論じることができるからである。新大陸にマラリアが導入されると(そのことが新発見のコロンブスの手紙に書いてあるそうだ)、マラリアに対して抵抗力を持っていない人々が住むことが難しくなり、抵抗力を持っているアフリカから運ばれた奴隷に頼らなければならない。マラリアを媒介する蚊は暑い気候が好きだから、熱帯・亜熱帯地方にはアフリカから移入された奴隷を用いた大プランテーションに基づいた社会が作られて、それから南北戦争にいたるという流れの話になる。この話自体は私も記憶にあったけれども、こうして読んでみると、確かに病気の歴史の学部生向けのネタとしていい素材だなと思う。来年から学部1・2年生向けのセミナーで病気の歴史を提供することにしているから、そこではこの話を提供してみよう。

画像は<タラ>を背景にして柵に腰掛けるヴィヴィアン・リー演じるスカーレット・オハラ。風通しが良い高台に作られ、蚊が湧く湿地や水たまりから離れているお屋敷が南部の屋敷のテンプレートという話である。

第二次大戦時の米軍将校の精神疾患

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Evans, Harrison S., and Harold Ziprick, “Minor Psychiatric Reactions in Officers”, War Medicine, vol.8, no.3 (1945), 137-142.
将校における軽度の精神病反応を論じた論文。戦線や時期などは明記していない。
診断について。Situation reaction や adult maladjustment などの診断が最近用いられている。これらは「神経症」に較べてスティグマが低いので患者にストレスを掛けないことは事実であるが、精神科医は自らが用いる診断には自信を持ってそれを貫き通し(ヒヤヒヤ)、患者の虚栄心や批判を避けるために他の診断を用いるべきではない。

力動的な解釈の羅列で、患者が子供の頃から権威に対してどのような態度を取ってきたか、権威に対してどのように自己を定立したか、ということが強調されている。そのため、良きにつけ悪しきにつけ、患者から聞いた話というのは力動的な人生のミニ・バイオグラフィーになっている。三人兄弟の末っ子で小さい頃に体が弱かったから母親に溺愛・過保護にされて父親は距離感がある厳しい存在であったから、力と権力を求めて高校ではスポーツでスターになって軍隊に入ったが、そこで上官に対して問題が発生した・・・という類の症例報告が続く。そういった説明が当たっているかどうかには別として、ここで目を瞠らねばならないのは、軍隊における生活の構造、すなわちある組織の中で、命令に服し、権限を振るい、達成感を感じたりする個人的な人生のゴールの中で当たり前のように語られていることである。日本の軍医においては、天皇や国家のような個人を超えた何かに身をささげることを外せなかったような気もするが、読み始めた櫻井図南男においては、天皇は大きくなく、国家のために身をささげるという気分だったと書いている。

坂口安吾「桜の森の満開の下」

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坂口安吾「桜の森の満開の下」

青空文庫で読んだ。坂口安吾が1947年に書いた短編だから、1946年に「堕落論」を書いて大きな反響を呼び、人気作家というよりむしろ<時の人>と言った方がふさわしいような人物になった頃である。

山賊とある女の話である。山賊がかどわかして連れてきた女が我儘で残虐で変質的で、山賊のもとの女のあらかたを殺させ、そのあとで山賊とともに都に移住して、都の人を殺してその首を持ってくるように命じ、腐乱しかけた首を集めてお人形ごっこをしている。若君と姫様の腐乱した首で王朝物語ごっこをするのである。山賊はその生活に倦いて、都を逃れて山に帰るというが、意外なことに女も都を離れてついてくる。その時に通らねばならないのが、鈴鹿の峠を越す時の桜の森であり、その時に桜の花が満開になっていた。それまでも山賊にとって満開の桜の花は怖ろしい場であった。満開の花が散りゆく下の、気を狂わせるような美しい光景は、いつでも彼の人格の下の凝固した不安であった。その満開の桜の下を通って、山賊は女を背負って鈴鹿の峠を越えようとしていた。

これに続く、山賊が真理を知り女を殺し自らを滅していく凄絶な陶酔感をもったフィナーレがある。このすべてが満開の桜の下で起きる。この部分は、「狂気」というものを文学で表すとしたらこうなるのではないかと思わせる傑作だと思う。

坂口安吾「黒谷村」

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坂口安吾「黒谷村」
戦前の1931年に発表された中編で、出世作の一つ。青空文庫にある。雑踏の都会で不眠症にかかった神経衰弱の若者が、大学時代の友人で山深い村の寺の住職になった男を訪ねるという舞台である。「山里は猥雑な村であった」最初の日に入った居酒屋では女中が婬をすすめ、若い農夫は穂の間から朗らかな声をかけて夜這いに誘い、ワラビを干している娘は秋波を送る。友人の住職は情婦を持ち、毎晩のように寺の境内の石畳に足音を控えめに響かせて女がやってきた。物語は、村の祭りの夜の、祈祷のような盆歌と単調な円舞、夢うつつに聞くような人々の騒ぎで一つのクライマックスを迎える。主人公はここに北欧の乙女たちが初夏の野原に踊って歌う「ライゲン」を思う。

松井冬子と九相図

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松井冬子が美術史家の山本聡美と一緒に九相図を観るという企画を『芸術新潮』の10月号で読む。死と性と怪異を描いて今を時めく美人日本画家だから、日本の死と腐乱の絵画の古典にどう向き合うかとても興味があったが、正直言って、松井さんの発言は断片的で技術的な内容・直観的な印象論が多くて、必ずしもいい記事になっていなかった。しかし、松井さんに九相図を案内する役割の山本聡美さんという美術史家の記事や発言が、学者らしい知識と洞察の厚さをうまく表現していて、とても面白かった。

九相図という表現形式では腐乱し白骨化していく死体として描かれているのは女性のものであった。女性の生きた肉体や死体の穢れた様子を見て男性が発心する説話の構造が写されていた。これは女性と穢れの結びつきを意味するが、女性には男性の発心を誘発する気高さと信仰心の篤さも存在した。男性である修行者はあくまで他者として女性の死体をまなざしたのに対し、女性は九相図の中に自己を見出していたという。少し調べたら、山本は九相図についての大きな書物を2009年に出したとのこと。まず借りてみて、よさそうならば、とても高価な本だけれども買ってみよう。

松井と山本が並んで撮った写真の背後に「病の草紙」から作られた掛け軸が三つ掛っていた。きっと九州国立博物館のものだと思うけれども、あれはなんだろう。九相図と病草紙はセットにするものなのかしら? 

『情報歴史学入門』

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後藤真・田中正流・師茂樹『情報歴史学入門』(奈良:金壽堂、2009)
アーキヴィストたちを相手に話すので、聴衆の感触を得るのにいいかなと思って、花園大学で「情報歴史学」を教える若手の教師3名が書いた教科書をさっと目を通してみた。スタンダード化を意識したプロの記述になっていて、役に立つ部分とそうでない部分があった。特に関心があったのが、データの共有性を前提にした部分である。私が史料からデータベースを作るときには、私個人が使えることだけを目標にしており、他の医学史の研究者がそれを使えることは最初から想定に入っていないし、他のデータベースと共同のシステムの中に入ることも考えて作っていない。たとえば、数年前に近代日本の死因や流行病のデータベースを作ってウェブ上にアップしたときでさえ、データの共有性については無造作に考えてしまった。いま研究している精神病院も、そのデータが将来に共有されるためのフォーマットの見込みは何も考えていない。個人的な情報力の充実に基づいて、個人の研究者が自分の形式でデータを作って研究して個人の名前で論文を書いて鼻の下を伸ばしているという構造になっている。それではもう難しいのだろうなとひしひしと思う。

優生学とモダニズム

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Turda, Marius, Modernism and Eugenics (Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2010)
優生学の歴史の研究は、それをナチズムを軸にして捉える観方から離脱したあと、それ以外の国における優生学の研究と国際比較へと急速に拡大した。このヒストリオグラフィの中で現れた日本語の書物が、2000年に講談社現代新書から出た米本昌平・市野川容孝・島次郎・松原洋子の『優生学と人間社会-生命科学の世紀はどこへ向かうのか』である。米本の「脱ナチスと生命倫理の問題系」の提起を出発点に、ドイツだけでなく、イギリス、アメリカ、フランスに日本を加えるという形をとり、日本の大学が言語的に強い英米仏においては研究の力があることを示した。まだ日本では難しそうなのが、中欧・東欧への優生学の普及を検証して国際比較の中に位置づけた研究であり、この書物の著者の Marius Turda は、中欧と東欧の優生学の歴史を英語圏に知らしめた第一人者である。この書物は、中欧・東欧の研究というよりも、ヨーロッパ・アメリカ全体の現象として優生学をとらえ、その中でモダニズムと優生学の不可分性を論じている。もちろん、ドイツ、イギリス、フランス、アメリカに加えて、中欧・東欧の事例が豊富に盛り込まれており、特に第一次世界大戦の後にできた新しい独立国における優生学が論じられるあたりは Turda の独壇場になっている。

Turda が「モダニズム」と呼ぶ現象は、表記がちょっと厄介で、衒学的なようだがmodenism と表記したほうがいいのかもしれない。日本語で「モダニズム」と書くときには、主として芸術運動についていう表記であり、英語で Modernism というと、話は芸術に限らず、文化や社会一般について過去との断絶とラディカルな革新を唱える立場を指す。(少なくとも私はそう理解している)Turda がここで modernism というのは、当時の芸術に表現されている伝統との断絶と革新と同じように、社会においても根源的な革新が必要であるという思想であり、それを医学・生物学の原理に従って実行しようという考えである。生物学の原理にかなった国家・社会への介入により、国民は健康と優生になり、国家は革新され新生される。この医学生物学的な国民の新生のモデルを Turdaはmodernism と呼び、この思想の中核には、生理学・血清学・免疫学・遺伝学などと絡み合って優生学が存在していたことを論じる。

夢野久作「少女地獄」と優生学的血液検査

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夢野久作「少女地獄」
少女を主人公にした探偵小説の中編を3つ集めた『処女地獄』という作品に、血液検査による処女判定という小道具が用いられているのでチェックした。血液検査で処女を判定しようという発想が、もともとはどこの誰から出てきて夢野久作に至ったのかは調べていないが、戦前の探偵・猟奇などの世界ではきっと有名だったことと思う。私が読んだ範囲でも浅田一が得々と書いている。

夢野の話では、人格者とされている県立高女の校長が、学校の廃屋のような納屋で人違いをして女学生を犯し、女学生はそれを秘密にしておくが、他の理由で血液検査をされて、男を知っていることが明らかになるというストーリーの小道具として使われる。先日血液検査をした先生はオーストリーの大学にいってそれを学んできたと書かれている。

処女検査の話は、優生学と社会衛生の議論の中で、結婚の前に医師の証明書をもらい、相手に感染する病気、母子感染で胎児にも遺伝する病気、あるいは遺伝する病気にかかっていないことを証明してから結婚するようにしようという議論の中から出てきたのだと思う。これはもちろん女性運動家から見ると、夫となる男性が売春を通じて梅毒に感染することへの不潔感であり、それを妻に感染させることへの怒りの表現であった。同時期のフェミニズムが優生学とプライヴァシーへの医学による侵入に賛成していた理由の一つは、文化的・社会的・習慣的に夫との間の力関係が不均衡になっているのを、医学による検査を通じて是正しようという意図である。以前に一度書いたが、私はいわさきちひろの夫が結婚した直後からちひろに蛇蝎のように嫌われて最終的には自殺した理由は、ちひろの夫の梅毒罹患ではないか、それを知ったちひろが、夫婦の関係についての正義感と病気に対する嫌悪感を組み合わせて激しい憎しみを持つようになったのかなという仮説である。誰も相手にしてくれないので、もう一度書いておく(笑)

梅毒を検査するのと同じ血液検査による処女検査という発想は、男性の側の意図を反映しているのだろう。日本の場合は嫁にもらう家の側の意図でもあっただろう。文化的に処女そのものが重んじられたことも事実であるし、出生した子供が本当に夫の子供であるかどうかという不安、他の男と性交してすぐに別の男と結婚したのではにかという懸念を晴らすという意味もあるだろう。婚前の健康検査をめぐる男性と女性の意図のぶつかり合いという形があったと考えていいのだろうか。

フランスの優生学的結婚相談

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Schneider, William H., Quality and Quantity: The Quest for Biological Regeneration in Twentieth-Century France (Cambridge: Cambridge University Press, 1990)
フランスの優生学の歴史についてのスタンダードな書物をチェックする。特に結婚前の健康診断の部分の確認。緊急に必要だったので、2002年にpbk が現れた時に買って手元に置いておいたのがよかった。

第一次世界大戦にフランスは勝利したが、国力の消耗と膨大な若者の生命を犠牲にした勝利であり、優れた若者がごっそりと死亡したことに伴うフランスの将来の人口をどのように改善するかはきわめて重要な主題であった。フランス優生学会は1926年に「婚前健康診断」を議論し始める。これは、性病、酒精中毒、てんかんなどの遺伝性の病気にかかっていないことを健康診断によって証明しないかぎり結婚を認めないという法律の必要性を議論するものであった。特に梅毒に代表される性病にかかっていないかどうかを検査することは、さまざまな<遺伝性>の疾患に罹っているものを結婚からはじき出すという優生学的な効果があると期待された。しかし、この問題は、言うは易く行うは難しである。優生学者たちは、この問題について総論では賛成しながらも、具体的にはどのように実施できるのかという問題については議論百出の状態であった。性病を検査するためにはワッセルマン反応などの検査が開発されていたが、これは偽陽性・偽陰性のどちらも多く、非常に不安定な検査であった。男性と女性のどちらを検査するのか、理想的には両方をみるのか、医師の守秘義務の問題はどうなるのか、などの高い壁が存在した。特に彼らが心配したのが、世論の反対の問題であった。彼らは、人々は健康診断に反対すると思っていた。ところが、意外なことに、この問題についての反対はむしろ少なかった。婚前健康診断は風刺はされたけれども、人々にはこれについて受け入れる傾向があった。1930年代には優生学をめぐる激しい議論が生まれるが、この問題はフランスの優生学が最初に成功した「ネガティヴな」方法であった。

ちなみに、第一次世界大戦後のヨーロッパにおける優生学の進展について、大戦による膨大な死者の影響をなんとかしなければという圧力は、日本人から見た時に見落としがちなことである。フランスは約4000万の人口のうち150万人の兵士が死亡した。この兵士たちは、これから子供を作るはずの年齢階層の男性であったし、しかも、兵役が可能な健康な男性たちであった。正確な数字をいま持っていないけれども、20歳から40歳の男性のおそらく四分の一くらい、それも優生学的に言って上位の部分をごっそりと失ったのである。ヨーロッパの大戦参加国の多くは、前代未聞の人口学的な衝撃を受けており、政策によって人口を改善し増加しなければならないという圧力ははるかに高かった。これは同じ大戦で415人の死者しか出さなかった日本が経験しなかった圧力であった。

近代中国の人種理論

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Dikoetter, Frank, The Discourse of Race in Modern China (London: Hurst & Company, 1992)
中国関連の歴史学者の仕事に文献学の長い伝統がいまでも生きていると感じることがある。論文や書物が、ある構成を持って組み立てられた議論を目指しているというより、研究者が読んだ資料の的確で有益なまとめを志向しているときである。日本医学史の古典でいうと、富士川游の大きな仕事である『日本医学史』『日本疾病史』がこれにあたる。悪く言えば資料の要約の羅列であって、歴史学科の博士論文として勧められることが少ない書き方だと思うけれども、そのような書物が非常に大きな役割を果たす名著となる場合もよくある。ニーダムの『中国の科学と文明』はこのスタイルだと私は思う。欧米にもこのような著作は少なくなく、シンガーの一連の著作、精神医学の歴史の Hunter & MacAlpineなどは資料の的確なまとめの適切な配列という方式を持っている。

なぜそんな話から始めたかというと、ディケターのこの書物は、英語圏の大学で書かれた博士論文であるが、当時の研究の状況を反映して、近代中国の人種理論をパノラマ的な形で展開している優れた著作だからである。古代や近世についての記述は少ないが、興味深い史実がまとめられているし、近代についても、「匂い」「髪の毛」「解剖学」「脳」などの節ごとにテキストや史実がまとめられていて有益である。少し動的な記述になるのは、やはり中国における人種理論が政治運動の脈絡で使われる部分であり、ここでは満州族の支配に対して漢民族の優越性を信じる議論と、当時の西欧諸国と日本による支配と侵略との関連で闘争性と帯びた議論になる部分である。

画像は、左が日本人をおとしめて描いたときの毛深い動物的な人間、右がしっぽがある動物的な人間である。中国の伝統的な異界人の描き方に沿っているという。

チャールズ・シンガー『解剖・生理学小史』

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チャールズ・シンガー『解剖・生理学小史』西村顕治・川名悦郎訳(東京:白揚社、1983)
原著はイギリスの医学史の開拓者の一人であったシンガーが1923-24年に行った講演をもとにして1927年に出版した書物である。1958年にほぼ同じものが再版されている。日本語に訳されたのが1983年だから、原著の講演から60年たっている。83年の欧米の医学史研究の事情をみると、多分その段階でこの書物はすでに「古い書物」になっていたと思う。「緒言」を書いているのはかつて東大科学史の教員であった木村陽二郎で、それから察するに木村が西村に翻訳を勧めたようである。自分が卒業した学科の先生を批判するようで少し気が引けるが、これは日本の医学史にとってタイムリーな翻訳ではなかったと思う。日本の医学史研究はいつごろからか国際的に孤立して、鎖国的な道に入っていった時代があったと思うが、その悪しき面をみたような気がする。

ついでにいうと、本書43ページの四体液・四元素説の図式は間違っていて、血液と胆汁の位置が逆でなければならない。この書物の原著は持っていないから誰がどう間違えたのかわからないけれども、シンガー/アンダーウッドの『医学の歴史』ではもちろん正しく表記している。

嫌味なようですが、画像を添付しました。 

イギリス王室と児童精神医学

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Jane Ridley, Bertie: A Life of Edward VII (London: Chatto, 2012)についてのLRBの書評よりメモ


後にエドワード VII 世となるエドワードが生まれた時から、母親のヴィクトリアと父親のアルバートは、その性格と能力に不安を持っていた。2歳の時にはフレノロジストが彼の頭の形を検査して、脳の発育に欠陥があるといい、4歳の時には医者に、神経的で興奮しやすく、ある方向に行動を定めて維持する力を持っていないと言われた。厳しい時間割をもつ日課で生活させられたが、彼は「改善」しなかった。家族ではないものから見ると彼はあまりに「ドイツ的」であった。R の音を巻き舌で発音した。一方で、彼の家族から見ると、彼にはドイツ性が足りなかった。デンマーク王女と結婚するとき、彼女の頭が小さいので、母親と姉は心配し、あの小さな頭の女と、欠陥をもつ頭のエドワードが結婚して子供を生んだら、子供には脳がなくなるのではないかと心配した。

ポイントその1は、性格と能力の問題を、骨相学を通じて脳の器質の問題につなげようとする態度が1840年代にすでにあったことである。というか、骨相学はまさにそのための道具であった。ポイントその2は規律の問題、ポイントその3は民族の問題、最後が遺伝の問題である。

画像はWikipedia から。勉強は苦手だけれども人に好かれそうな子供らしい肖像画ですね。

金川英雄・堀みゆき『精神病院の社会史』

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金川英雄・堀みゆき『精神病院の社会史』(東京:青弓社、2009)
金川英雄は、今年の精神医学史観連のベストセラーになった呉秀三『私宅監置』の現代語訳を出した精神科医・歴史研究者である。彼が、精神科の看護士で歴史研究者の堀みゆきと組んで、東京周辺の精神病院の発展を描いた書物である。4章に分かれ、高尾山周辺を集中的に描いた章、東京の私立精神病院群の設立を2群にわけ、明治大正期に作られた本郷・巣鴨周辺の病院と、昭和期に西部の郊外に設立されたものを論じた章、陸軍の衛戌病院に付設された精神病室を論じた章、最後が日蓮宗の宗教治療から発展した慈雲堂病院を論じた章である。高尾山の滝治療についての章が、色々な史料を用いた最も優れた章であり、その他の章も有用な情報が詰まっている。プロの研究者はとりあえず持っておかなければならない書物である。

第六回アジア医学史学会

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第六回アジア医学史学会プログラム 

12月13-15日にわたって、慶應大学・日吉キャンパス来往舎にて、第6回のアジア医学史学会が開催されます。

日本を含めたアジア、ヨーロッパ、アメリカ、オセアニアから、合計で120人ほどの研究者による研究発表が行われます。鈴木晃仁、脇村孝平、飯島渉、愼蒼健の運営委員会が今年初めから企画してきた学会です。

全体講演は、会長講演(鈴木晃仁)と全体講演(小菅信子、アルフォンス・ラービッシュ、スーザン・バーンズ、マーク・ハリソン)の5件、セッションは合計で27セッションが行われます。木曜日には、学生セッションで、最初に英語で報告する学生たちによる発表が6点行われます。

学会への参加は無料・自由になりますが、事務局としておおよその人数を把握したいので、報告者以外でご参加の方は、ウェブサイトから事務局にご連絡ください。

14日の夕方7時からは日吉キャンパスのファカルティ・ラウンジで懇親会になります。アジアの医学史研究に貢献した若手を表彰する谷口メダルの授与のほか、日本舞踊が行われます。懇親会への参加は3,000円いただきます。

以下のサイトに簡単なプログラム、詳細な要旨がアップされています。

http://user.keio.ac.jp/~aaasuzuki/BDMH/ASHM/ASHMProgramme1101.htm


日吉キャンパスへのアクセス、来往舎の地図はこちらをご覧ください。

http://www.keio.ac.jp/ja/access/hiyoshi.html

横溝正史『迷路荘の惨劇』と沼正三『家畜人ヤプー』

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今日は無駄話。

ある個人の「文体」の問題は、文学を研究している人たちはよくご承知だと思うし、もっと深く・的確に説明すると思うけれども、歴史学者もときどき資料の著者の問題を中心にして文体とはなんだろうと考える。文学研究者に較べて著者の同定は上手でないと思うけれども、その中で、一度文体研究の専門家の意見を聞いてみたいと思っているのが、沼正三の『家畜人ヤプー』である。

『家畜人ヤプー』は長期にわかって覆面作家(たち?)が描いてきた作品であって、どの部分を誰が書いたかを特定するのが非常に難しい作品である。私は真剣に考えたり分析したことはないけれども、臺28章までの『奇譚クラブ』に連載された部分と、そうでない後年に発表された部分の二つに分けて考えられることは確かだろうなと思っている。この「確かだろう」というのは、実に偉そうな言い方だけれども、実は著者である沼正三自身が「すべて私が書きました」と言っているのを否定した発想であって、まるで確かな証拠を持っているかのようだけれども、特に確かな証拠はない。ただ、小説の構成の仕方、ストーリーの展開の方法、ひけらかす知識の分野、物語の口調、登場人物の性格の造形、ギャグの<つぼ>など、文体と呼べるものを考えたときに、『家畜人ヤプー』は二つのセットに分かれると考えるべきだろうという、まさしくナイーヴな直観的なものである。 このナイーブな直観から始まって、偉そうな理屈や歴史学的なこねくりを披歴しろと言われたら、優生学とか外科手術とか排泄物の処理とか得々と話すと思うけれども、実はその基本にあるのは、文体の違いについてのただの直観にすぎない。

横溝正史の文庫本が杉本一文の表紙絵を復刻して出始めたので、どちらかというとその表紙が欲しくてかなり買ってしまった。 買ってしまうと、それを読まないのももったいないので(笑)、『迷路荘の惨劇』を読んでみた。そのときに、『家畜人ヤプー』の後半を読んだときのような印象を持った。 これは、横溝正史の有名な傑作を書いた人物の筆になったものではない!という印象である。横溝作品にはいろいろな欠陥があるのだろうが、『悪魔の手毬歌』『獄門島』『犬神家の一族』などは傑作だと思う。その作品と『迷路荘の惨劇』が、同じ著者の筆になったとは思えない。登場人物の人物模様とその動かし方や性格の造形など、こう、作品としての基本的な部分が違う。金田一耕介の性格も違い、まるで別人のように見えるほどである。横溝正史が忙しくなり、この作品はゴーストライターが書いたのだろうか?といぶかしく思うような違いである。それとも、やはり横溝が書いたのかなあ。

Andrew Scull, Madness: A Very Short Introduction

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Scull, Andrew, Madness: A Very Short Introduction (Oxford: Oxford University Press, 2011)
オクスフォードの大学出版局は、スカルによるこの書物の外に、Madness という同じタイトルを持つ、本の性格としてとてもよく似たタイプの本を出している。岩波から翻訳も出ているロイ・ポーターのMadness: A Brief Historyである。スカルの本もポーターの本も、どちらも小さなサイズでさらっと読める、日本でいう新書のような感じの本である。いずれも書いているのは、1980年代から狂気の歴史を推進してきた大物学者による鳥瞰である。二つを読み比べると、基本的に精神科医の専門職の権力を描いてきたスカルと、より広く患者と文化の役割を強調してきたポーターの違いはあるが、それぞれの立場による熟達の芸風がある。
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