高橋英次『優生学序説』(東京:医学書院、1952)
戦後の優生学の議論は、優れた女性の結婚・出産についてもいろいろと発言している。もちろん女性の教育は望ましい。しかし、多くの論者が恐れたのが、高い教養を受けた女性が独身でいる傾向が高く、出産をしない傾向であった。そう考えると、一流の大学を出たうえで、あえて主婦になってちゃんと子供を生むというパターン、すなわち戦後の女性教育の拡大と優生学的出産が両立されたメカニズムは、これをみごとに両立するものだったのだと感心する。
「高い教育を受けさらに男性に伍して社会的地位を獲得しようとする婦人は勉学に熱中している間に縷々婚期を失う。結婚というものが何か望むだけの価値があるものであるということに気づく頃には、多くは女性としての魅力を失っている。より若くより活発な娘たちと競争して成功することはむつかしくなる。教育ある女性はそうでない娘たちよりも、どんな犠牲を払っても結婚しようとはしていないし、また既婚の婦人よりも時間をより有意に過ごすこともできるのであるが、それにかかわらず多くの場合著しく独身に悩んでいる。独身は緩慢な磔刑にも似ている。独身は正常な本能に反するからである」
この引用の最後の「独身は緩慢な磔刑」というのは、独身女性は性的な不満のためにさいなまれるという論点だと思う。性が結婚の中に限定されていた時代には、たしかにこのような心配も、一定の根拠はあった。しかし、性が結婚の外でも行われるようになると、この議論は使えなくなったということかな。