高山文彦『火花―北条民雄の生涯』(東京:飛鳥新社、1999)
北条民雄はハンセン病の患者で東京の全生園で没した人物のペンネームである。川端康成に作品を送って認められ、『いのちの初夜』(1936)はハンセン病患者自身が書いた文学作品ということもあって、大いに話題になった。この書物は、その人物の優れた評伝で、特に全生園に入園した後の記述は非常に濃密になっている。北条自身が日記をつけ、同じ全生園の患者の中で文学上の友人たちの記述もあり、川端らの文学者の詳細な記述もあり、なによりも、北条自身が『いのちの初夜』をはじめとする作品群で自分の人生を作品化しているので、伝記的な文学研究としては、素材がありすぎる主題だろう。特に、作品において自分の人生が文学化されているから、創作と現実の区別がつかない形で提示されている素材が多すぎて、その区別に時々困っている印象すらもつ。
北条民雄はハンセン病の患者で東京の全生園で没した人物のペンネームである。川端康成に作品を送って認められ、『いのちの初夜』(1936)はハンセン病患者自身が書いた文学作品ということもあって、大いに話題になった。この書物は、その人物の優れた評伝で、特に全生園に入園した後の記述は非常に濃密になっている。北条自身が日記をつけ、同じ全生園の患者の中で文学上の友人たちの記述もあり、川端らの文学者の詳細な記述もあり、なによりも、北条自身が『いのちの初夜』をはじめとする作品群で自分の人生を作品化しているので、伝記的な文学研究としては、素材がありすぎる主題だろう。特に、作品において自分の人生が文学化されているから、創作と現実の区別がつかない形で提示されている素材が多すぎて、その区別に時々困っている印象すらもつ。
多くの重要な洞察を含んでいるが、全体の構図で重要なことは、「特殊なナレーター」が必要とされており、人々はその特殊なナレーターになろうとしていたという問題だろう。島木健作の『癩』も話題になっていた。川端も他の文壇関係者たちも、そのことを知っていた。そして誰よりも北条がそれを知っていた。このことは、『いのちの初夜』は非常に良く売れたように、小説が売れるということだけではなかった。文学と医療と実生活の間で形成されていた「特殊なナレーター」へと自己が成型されていくことを意味したのだろう。