モリエール『病は気から』
モリエール『病は気から』は、1673年に上演されたモリエール最後の作品であり、自分が病気だと思い込んでいる中年男を主人公にした喜劇である。モリエールの作品には当時の医師に対する激烈な風刺を含んだものが多いが、『病は気から』にも、伝統守旧的な姿勢の医師が、どんな症状でも原因を胸のせいにして、どんな病気でも治療は浣腸、そして無意味なことでもラテン語をもっともらしく言うと博識なる医者の仲間に入れてもらえるという、非常に印象的な当時の医師への風刺が描かれている。医学史の研究者としては、一度は上演を観ておかなければならない作品である。
今回の静岡のSPACの公演は、モリエールの原作そのものではなく、セリフも設定もだいぶ付け加えたり変更したりしたもので、いわゆる「歴史的な演出」ではなかった。しかし、付け加えたり変更したりということも含めて、素晴らしい舞台に仕上がっていたと思う。何よりも重要な点は、この喜劇がモリエールの最後の作品であり、上演中にモリエールが舞台上で血を吐いて死んだという史実を作品の中に織り込んで、<『病は気から』をモリエールが演じている作品>というメタレベルの層を付け加えたことである。こう書くと難しそうな上演のようだけど、お芝居はばかばかしいほど楽しい。
30年くらい前に買った薄い岩波文庫を引っ張り出して読んでみたら、冒頭では音楽やバレエがはさまれていることを知って、へええと思っていたところ、11月23日に王子で音楽つきで歌となった『病は気から』が上演されることを知った。
静岡県の演劇関係を担っているSPACという団体の芸術総監督は宮城聡という人物だが、複雑な経緯を略すと(笑)、大学時代の同級生だった。彼が率いていた<冥風過劇団は>駒場小劇場や矢内原公園に張られたテントでインパクトがある作品を上演しており、私や村松真理子や鈴木泉や納富信留たちは彼の芝居を観ながら昭和後期の学生生活を送っていた。SPACの公演に行くと芸術総監督としてドアの脇に佇んで、観客に微笑みを向けている宮城さんを見ると、あの時代の空気が少し帰ってきて、そのせいで自分も年を取ったのだなあと思う。まあ、今回の『病は気から』でも宮城のアホででたらめでけれども鋭い笑いは昔と全然変わらないけど(笑)。何がポン・ヌフだ。フランス語の単位なんかどうせ一つも取っていないくせに(爆)