東雅夫『世界幻想文学大全 怪奇小説精華』を読んでいたら、たまたま、その冒頭に置かれた作品が医学史の視点から見た時にとても重要だったのでメモをした。ルキアノスの「嘘好き、または懐疑者」という作品で、もともとはルキアノス『本当の話』の中に収録されている短い物語である。ルキアノスは2世紀の作家で、小説や風刺などに特徴があるとのこと。
ギリシア医学、特にヒポクラテス医学の特徴は、迷信や宗教的な儀式と距離を確保しようとしたことであると言われる。ヒポクラテス派の医師たちは、自らの医学を自然的なものだと特徴づけ、ある病気が神や霊によって引き起こされるという考え、それを祓い清めや神への供儀・祈りによって治療するというモデルと対比させた。この立ち位置を鮮明に語った著名なテキストが「神聖病について」であり、科学的・合理的なヒポクラテス医学のエッセンスであると考えられていた。近年の研究では、もう少しニュアンスがある見方が取られており、宗教的な医療との共存が強調されているが、ヒポクラテス医学には強く自然性を追求する態度と迷信から距離を取るベクトルがあったことは疑いない。
ルキアノスの「嘘好き、または懐疑者」が面白いと思ったのは、あたかもヒポクラテス派の「神聖病について」の鏡像のようなテキストだからである。もちろん全体としてはヒポクラテス派と言っていることは同じで、病気を宗教的・呪術的に説明することに対して高度に懐疑的な人物が登場して、病気を迷信や呪術のせいにする考えを批判するというのが全体的な理論になっているが、この呪文や儀式や宗教による治療病気の説明モデルを唱える者たちが次々と現れて、自分たちが経験した事例や呪文や儀式を語り続ける部分がテキストの大半を占めるから、結果的には、このテキストはほとんどが「嘘好き」と呼ばれる人々が語る超自然的な治療の物語で締められることになる。世の中にはこんなに悪徳があると詳細に列挙し続ける書物が結果的に悪徳の百科事典の機能を果たしたりするのと少し似ている。クラフト=エービングの書物も、もともとは性的倒錯は病気であるという議論だが、それがさまざまな性的倒錯の症例を列挙したので、むしろ性的倒錯を推奨する力すらあったのとも似ている。
つまり、ルキアノスの作品は、ヒポクラテス派の「神聖病について」で批判されている考えを述べる人たちが、次から次へと現れては、超自然的な病気や治療の事例を語り、その学説を述べているという形になっている。その意味で、「神聖病について」の鏡になっていると考えていいだろう。もちろん、注意しなければならない点もあり、ここでルキアノスが取り上げているのは、アリストテレス派、ストア学派、あるいはプラトン学派などの高度な知識人が語る迷信的な治療という設定になっているから、ヒポクラテス派が批判した対象とはずれるかもしれないのは当然である。しかし、少なくとも私は「神聖病について」と対応―対立するまとまったテキストを読んだことがないので、ルキアノスの記述は素晴らしかった。これが怪奇小説大全の中に入っていることを思わず忘れて、医学史の書物であるかのように気合を入れて読みふけった(笑)
学生時代に読んだ『神々の対話』を探したら、もちろん「文庫 L 」の場所にあった(ドヤ顔)から、未読山に移した。あとからゆっくり読み返そう。
ギリシア医学、特にヒポクラテス医学の特徴は、迷信や宗教的な儀式と距離を確保しようとしたことであると言われる。ヒポクラテス派の医師たちは、自らの医学を自然的なものだと特徴づけ、ある病気が神や霊によって引き起こされるという考え、それを祓い清めや神への供儀・祈りによって治療するというモデルと対比させた。この立ち位置を鮮明に語った著名なテキストが「神聖病について」であり、科学的・合理的なヒポクラテス医学のエッセンスであると考えられていた。近年の研究では、もう少しニュアンスがある見方が取られており、宗教的な医療との共存が強調されているが、ヒポクラテス医学には強く自然性を追求する態度と迷信から距離を取るベクトルがあったことは疑いない。
ルキアノスの「嘘好き、または懐疑者」が面白いと思ったのは、あたかもヒポクラテス派の「神聖病について」の鏡像のようなテキストだからである。もちろん全体としてはヒポクラテス派と言っていることは同じで、病気を宗教的・呪術的に説明することに対して高度に懐疑的な人物が登場して、病気を迷信や呪術のせいにする考えを批判するというのが全体的な理論になっているが、この呪文や儀式や宗教による治療病気の説明モデルを唱える者たちが次々と現れて、自分たちが経験した事例や呪文や儀式を語り続ける部分がテキストの大半を占めるから、結果的には、このテキストはほとんどが「嘘好き」と呼ばれる人々が語る超自然的な治療の物語で締められることになる。世の中にはこんなに悪徳があると詳細に列挙し続ける書物が結果的に悪徳の百科事典の機能を果たしたりするのと少し似ている。クラフト=エービングの書物も、もともとは性的倒錯は病気であるという議論だが、それがさまざまな性的倒錯の症例を列挙したので、むしろ性的倒錯を推奨する力すらあったのとも似ている。
つまり、ルキアノスの作品は、ヒポクラテス派の「神聖病について」で批判されている考えを述べる人たちが、次から次へと現れては、超自然的な病気や治療の事例を語り、その学説を述べているという形になっている。その意味で、「神聖病について」の鏡になっていると考えていいだろう。もちろん、注意しなければならない点もあり、ここでルキアノスが取り上げているのは、アリストテレス派、ストア学派、あるいはプラトン学派などの高度な知識人が語る迷信的な治療という設定になっているから、ヒポクラテス派が批判した対象とはずれるかもしれないのは当然である。しかし、少なくとも私は「神聖病について」と対応―対立するまとまったテキストを読んだことがないので、ルキアノスの記述は素晴らしかった。これが怪奇小説大全の中に入っていることを思わず忘れて、医学史の書物であるかのように気合を入れて読みふけった(笑)
学生時代に読んだ『神々の対話』を探したら、もちろん「文庫 L 」の場所にあった(ドヤ顔)から、未読山に移した。あとからゆっくり読み返そう。