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Channel: 身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌
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井村恒郎「敗戦国の妄想狂」

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井村恒郎「敗戦国の妄想狂」『現代心理』1巻7号1947: 27-35.

戦前・戦中・戦後と精神病医患者の妄想を診てきた医学者が、戦争をはさんでどのように妄想が変わったのかを論じているエッセイで、ものすごく面白い。

神経症のような精神異常なら、戦争のような社会的環境の変動と、その後の日本の体制の大変化は明らかに大きな影響を与える。戦中には「徴用神経症」と呼ばれていたものがあったし、現在(1947年)では経済の混乱と不安を抜きにして神経症を語ることができない。しかし、妄想の形式を主とする精神病については、分裂病であれパラノイアであれ、病前の生活から理解することは難しい。何か別の<過程>が楔のように撃ち込まれて、独自の発展をとげるからである。「妄想は、喩えてみれば、生体には異物である核を中心にして出来上がる真珠のようなものである」

それを認めたうえで、戦争を境に妄想がどのように変わったか。電波、電気、ラジオ、テレヴィのような新技術が現れ、最近では原子力までも同じ魔法の道具になっているが、これは、昔の、神通力、透視、読心術とかわりない。かつての神仏や狐狸も、前後の爾光教(金沢をベースにした新興宗教で双葉山も入信していたとのこと、秋元に妄想性痴呆と診断された)にいたるまで変わらない。しかし、戦前から戦中の被害妄想においては、憲兵、警察、特高が非常に重要な役割をしめした。国民は常に監視の対象であった。何人もの知識人が、憲兵が現れる被害妄想にかかり、自殺して死んだものもいた。誇大妄想について言えば、我が国では常に天皇と皇族と将軍が重要であった。戦後は、彼らの非合理な権威の力は急落し、日本人の妄想も鎖国的で閉鎖的なものから解き放たれて、解放的になって外国人も登場するようになった。外国人になりきったりするのだが、しかし、そこで、日本的な養子であるなどの形式をとる。外国人の有名人の娘だが、日本の市井の庶民に養子に出されたとする。自分の名前は「せつり姫」だというが、これは、井村によれば、ロンドン生まれ・ワシントン育ちの皇族で、のちに結核予防会の会長をした秩父宮勢津子(せつこ)にちなんだのだろうとのこと。

「もっと徹底した新しい型の人種妄想、つまり日本人らしい型と生活の仕方からほとんど完全に脱却したような妄想患者があらわれている」という前置きで井村が語る患者が、空恐ろしいというか、分かりすぎて怖いというか・・・ こういう患者が戦後に現れたということは、心に刻んでおこう。これは、日本人であることに絶望的な嫌悪をうかがわせる人種妄想である。自らP. ケイと名乗り、最初から一言も日本語を話さないし、日常の対応はすべて外国語、郷里から送られた見舞いの品物も、包装の上に日本名が書いてあるので人違いだといって受け取らない。日常生活は全く洋式で、和服である病衣をまとうことはしない、食事も決して米飯を食べない。黙々として孤独、いや孤高を保っている。作業が終われば、ラジオの傍らでひとり外国放送を聴いている。このあわれな精神の異国人は、自分の両親や妹をみても他人だという。完全に家族と絶縁し、外国生まれの孤児だといっている。彼の病前・病後の生活環境は、普通の日本人からみると例外的なものだったという。これこそ、従来わが国でみられた妄想に共通した日本型をうちやぶった、妄想の戦後型といってよいだろうという。

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