加藤正明「ビルマ民族の精神医学的考察」『精神神経学雑誌』vol.49, no.6, 1947: 112-115.
短い論文だが、重要な意味を持つ。日本の帝国精神医学はのちに東大教授となった内村祐之が1930年代にアイヌを対象として始めて、進化論的な症状の解釈方法を確立した。それと並行して精神病一斉調査という形で、日本の孤立的な僻地・遠隔地を対象にして、ある人口集団における精神病の罹患率を計測し、その家系図を調べて人口における精神病の重積を測定する方法を編み出した。これとまったく同様に、内村の弟子が、軍医として駐留したビルマにおいても、帝国主義精神医学を実施し、精神病一斉調査を行っていること。
加藤がビルマに滞在していた間の、正式な精神医学的な研究の成果をまとめたもの。理論的な準備としては、レヴィ=ブリュールの「集団表象」の考えから、ビルマの特にビルマ族については、小乗仏教と精霊 Nat 崇拝の共存が重要である、精霊崇拝は、万物に生命があると考える瀰漫的な神秘主義ではなく、個別化され人格を持つ精霊を崇拝するものになっている。
ビルマでは智能検査が行われ、またビルマ巡査を対象に性格検査が行われた。その結果が報告されている。
最も興味深い点は二点。一つが内村が八丈島で行ったような精神病一斉調査を行ったことである。昭和18年の10月20日から11月5日にわたって、イェナンジョン市(Yenangyaung)より40キロほど離れた地点にある二つの農村(ボートン、センダジン)で精神医学的調査を行った。男679名、女735名、自作農が45%、農業労働者が37%、砂糖製造が10.2%である。ここで内村たちが行ったような精神病調査を行おうとしたが、村長、通訳、衛生兵の努力にもかかわらず、その結果は極めて寂寂たるもので、脳溢血の後の症状、アルコール中毒、分裂病がそれぞれ一件ずつしか発見されなかった。これを加藤は強気に解釈して、精神病そのものが少ないのではないかと論じている。P. Bailey が15民族、患者7万にわたって調査して言うように、「精神薄弱が多い民族に精神疾患は少ない」ことを示すのだろう。
もう一つはアイヌの「イム」と同系列の文化精神医学の研究を行っていることである。「ヤウン・ディー」「ヤウン・ダ・チン」と呼ばれる症状で、もともとの意味は「ねぼける」という意味。アイヌのイムや、ジャワのラターなどと同様に、反響症状、従命自動、抑制喪失などの症状が出る。加藤は3人の中年以降の女性の患者をみた。しかも、これが油田都市のイェナンジョン附近で発見されるということが、ビルマの文化水準の低さを語っている。なお、飛行機の爆音を聞くたびにヒステリー弓をなす18歳の「ビルマ人慰安婦」にふれて、通常のヒステリーも存在すると主張していた。
ビルマは、仏印、シャムとともに、湿潤的文化圏を形成し、これは温帯のエストニア・ラトビア・リトアニア、乾燥的なイラン・イラク・シリアに対応する。ビルマ、仏印、シャムは、三国共にアジア人種、モンスーン的風土、南方に流れる川、農業を主産業、人口は近代国家形成の一要素たる5000万人を超えず、多民族で貿易額5億―7億円で、植民地的経済状態から脱していない。ビルマを含めて、これらの社会・歴史的条件が、素質が低いからそうなったのか、それとも社会・歴史的な条件ゆえに素質が低くなったのかは、我々にとって素質と環境の相関関係として常に提起される問題である。