ウェッブ上のリソースで、Medical Humanities の記事を掲載しているものがあることを知った。その中で、女性美について19世紀に医者たちがどのように分析したのかという面白い議論があった。著者は、解剖学と病理学の一流の学者で、一方で水準が高い歴史研究を書くことができる両刀使いで、イギリスが近年生み出している新しいタイプの医学史のプラクティショナーである。
短い記事だけれども、とても面白い史実が詰め込まれている。重要なポイントは、「美」というのは人工的に作られた規範なのか、それともそこに解剖学・生理学などを通じて説明することができる自然の根拠があるのかという問いが、19世紀にはすでに議論の対象となっていたということである。この問いは、現在では、性的な選択を通じて「健康で子供をたくさん残せそうな個体が<美しい>と思われる」という形で、進化論を媒介にして説明されているが、進化論をもっていない段階においても、この問題については医学者・生理学者・解剖学者は思考をめぐらせていた。
特に、美しい身体は健康を意味するのかという問いは、美を測る基準は何かという興味深い議論を生み出した。その中から一つの議論を。スコットランドの死体泥棒で悪名高い解剖学者のロバート・ノックスは、動物の形状からの距離が遠いほど人間は美しくなると考えた。人間の子供は動物と共通の形(原型)に近いから、美的に低級であり、人間の男性も、動物と共通の筋肉や骨格などがあらわに見えるから美しくない。一番美しいのは女性であり、その極限が、筋肉も骨格もふっくらとした肉に隠されているヴィーナスである。ふっくらとした肉付きは身体の内側を隠す。骨組みや肉体などの身体の内側は、死と解体のたしかな徴であり、それがあらわになる「やせ」や老化は、人を醜くする。
原型と動物と死。これと対比される文明と人間性と生が、美を測る基準であったという。これは、思索を誘うポイントである。
画像は、このサイトより。理想的なプロポーションの女性をさぐる解剖学者の図。1864年。