野村章恒「自暴自棄の病理―精神病医の手帖」『臨床文化』8(1940), 46-49.
著者の野村は後に慈恵医科大学の教授となる。森田正馬の伝記なども書いている。この時点では鎌倉脳病院の院長であった。
祖母から聞いた俗語の格言として「上見りゃ放図なし。下見りゃ放図なし。下見て暮らせ」という言葉を冒頭に引いて、精神医療の話に入り、最後に再びこの格言に帰ってくるという構造を取っているエッセイである。
祖母から聞いた俗語の格言として「上見りゃ放図なし。下見りゃ放図なし。下見て暮らせ」という言葉を冒頭に引いて、精神医療の話に入り、最後に再びこの格言に帰ってくるという構造を取っているエッセイである。
素朴な議論から始めると、俗諺風の格言に精神医学の学知を絡めるという議論立てそのものが、当時の精神医学の立ち位置と深い関係があると思う。その立ち位置をうまく表現することはできないけれども、人々の生活世界と同じ言葉に翻訳できる内容を語り始めた精神医学であるという特徴は確かだと思う。
そこから発せられる内容とはどのようなものか。いくつか引用する。
私の知っているあるメランコリーの患者は、坊ちゃん坊ちゃんで育てられ、多くの召使いにかしづかれて育ったため、或る日、凧をあげて遊んでいた時、風がやんで凧が上がらなくなったのに腹を立てて、風をもう一度強く吹かせるようにと書生にせがみいじめたことがあると述懐し、画の強いのは三つ子の時からですと語っていた。
(この患者の語りの中にも、「三つ子の魂云々」という俗諺が織り込まれていることにも注意したほうがいい。)
その愚痴は自分が丈夫でいたら社会で立派に活躍できるのに、間違った治療を受けてしまったから治らぬと医者を恨み家人に罪をきせかけるのである。そして少しも身から出た錆には気が使にのであった。そして生きていてこの上憂き目を見たくないと愚痴り続けながら決して死を決行しないのである。病気にかかったために悲観することは凡人の常であるが、その病気を他人のせいにして他人を恨んで自棄的になりゆくことは性格的に自己中心の我儘からくるものである。
[息子は善意につけこまれてつつもたせにかかり、人間が変わり、会社へも出ず、金遣いが荒くなり、ついには他人のものを盗ったり本屋の店頭から万引きをして警察の保護をうけながら少しも悔悟の色がなくなってしまった]
その母親は涙を流しながら、「この程度のものでは、精神病者として入院をさしてもらえましょうか。」と聞く。
その母親は涙を流しながら、「この程度のものでは、精神病者として入院をさしてもらえましょうか。」と聞く。
私は人間の優良素質と悪疾素質とを鑑別しうる立場の医者となったことを喜んでいる。