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Channel: 身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌
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東大内科患者の同胞の精神病調査

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玻名城政順「本邦人の精神疾患遺伝負荷に関する調査―342名の東京市並びに那覇市内科病院入院患者の同胞及び両親」『精神神経学雑誌』47(1943), 282-307.

この論文にも記されているが、玻名城政順は、「立津」と改姓した。のちに、熊本大学の神経学者として水俣病を研究した「立津政順」は、この人物である。

平均成員間における精神疾患の出現率を知る他の調査法はある地域の全住民の一斉調査であるが、この方法はその性質上社会学的要因の介入を防止できないものであって、一斉調査の結果をもって遺伝予後を評価する比較資料とすることは不可能である。 282

東京帝国大学坂口内科の入院患者220名の同胞1000人を調べた。これは、非常に高い階層から来ている患者たちであり、その同胞も高い階層である。精神薄弱は18名、要保護精神病質はいなかったが、何らかの点において性格異常を示す特徴者は、49名発見された。これは全体の6%程度である。その半数は循環気質のもので、社会の上層に属するものを多数包含していたことと結び付けて考えるべき所見である。一方、那覇の調査は、全く違う、社会の下層の患者層・同胞を示している。ここには、痴愚が多く、全体に精神病は少ない。「那覇市材料においては、一般精神疾患と特徴者の出現が著しく低く、精神薄弱の頻度がこれに反し極めて高率を示している。」297

秋田の精神病調査・1941年

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太田清之「穿試法に依る秋田県の精神病調査」『精神神経学雑誌』47(1942), 319-328.
S16年5月から8月にいたる三か月間、秋田市の一般病院、私立小泉病院に入院中の患者のうち中年者を発端者としてえらび、その200組の同胞1156人につき、精神疾患に関する詳細な調査をした。このサンプルは、農漁業に携わっているものが多く、また下層の社会階層が多い。農漁業は36%、労働者と雇傭人が20 %である。これは、秋田という事情と、小泉病院の患者層が社会の下層にやや偏っていることに由来する。一方で、入院料負担可能者は、すでに社会の最下層ではない。つまり、このサンプルは、社会の最高最低を除いたところに成立している。

同胞1156名中、分裂病4, 進行麻痺1, 卒中後精神病1, 癲癇3, 戦争神経症1, 脳炎後パルキソニスムスが1、それに精神病質11名. これは予想に反していた。卒中後精神病、神経症は予期しないところであった。進行麻痺が一例にとまったのも期待に反した。躁うつ病、精神発育制止が一例もなかったことも意外であった。326

進行麻痺の1例は物足りない。秋田は海岸線が長く、漁港が多く、また殷賑な花柳界をもつ。(土崎港) 公娼が廃止されて、私娼が跋扈している。 秋田脳病院では進行麻痺が多いことなどから、その高率が予想された。 ところが、文献を見ると、進行麻痺はこの方法(穿試法)では発見されることがまれである。

秋田では大酒のせいで、動脈硬化、高血圧、脳出血関係による死亡が多い。その一人あたりの清酒消費量はまさに日本一であり、さらに濁酒密造の国として、或いは放火犯の多い国として、全国に冠絶しており、それに伴い、病的酩酊者や酒精耽溺者の数も多くなっている。326 。

さらに注意すべきことは、今回の調査で、躁鬱病と精神発育停止が一例もなかった。
「躁鬱病の症候及び経過が、他種精神病に比較して、素人の人々には把握しがたく、しかも全く常態に復帰してなんらの欠陥をも残さないので、したがってその供述が困難になるということである。秋田県のごとき、一般的教養の低い地方においては、ことさらに本病の理解が困難であるのかもしれない。もう一つの理由は、この調査が、本県民の大多数をしめる中産階級以下の人々について行われた。かかる階級の人には、本病が一般に少ないということはるる認められるところである。躁鬱病者の社会層が比較的高いことの一証明になるであろう。327

精神発育停止に至っては、本県にも極めて多数に存在するであろう。しかし、その程度が千差万別であり、その判断が供述者の主観によって左右されるところが多大であるのみならず、本県民のごとき一般教養程度の極めて低く、筋肉労働を主とする職業の大多数を占める地域では、たとえ精神発育制止が存在するとしても、特に高度のものでないかぎり、周囲の人々にはもちろん、家人にすらそれと気づかれないことがあるのではないかと考えられる。327

内村祐之・精神病調査

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内村祐之「日本人の精神疾患負因負荷に関する一規準」『精神神経学雑誌』47(1943), 271-273.

日本の精神病調査はドイツよりも10年ほど遅く始まり、始まった段階においても精神病院の患者数が絶対的に少ないという特徴を持っていた。内村の調査は確かにナチスの優生学の影響を受けていた。 しかし、ここにナチス流の強力な国家が主導する優生学の特徴を感じることは難しい。 

民族資質の優劣は、自然科学的客観性に基礎づけられねばならない。しかし自然科学的視点は甚だ多角的であって、正確なる結論は、種々なる吟味の総合に待つところが多い。精神疾患の悪質たることは言うまでもないが、これを民族的資質と称しえるや否やは、かかってその民族の有する精神病者数の多寡に依存する。たとえば精神疾患の民族的寡少は、疑いもなく諸民族の資質の優秀性を称する重要な一指標である。従来もこのような見地から、精神疾患に関する各民族間の比較を試みるものが少なくなかった。しかしその大多数は、臨床的印象に出発した単なる推定にすぎなかった。271

しかるところ、Ruedin の指導のもとに案出された平均成員の負荷統計法は、適正なる平均成員発端者を見出し得るかぎり、精神疾患の分布濃淡を推定し得べきもっとも合理的な方法である。ことに遺伝性疾患負因の民族内分布を推知すべき唯一の調査方法である。従って本方法が案出されて以来、ドイツ人はその応用によって、自民族内の這般の事情を明らかになり得るに至った。これは精神医学的遺伝学にとっても、また比較民族精神医学にとっても、近年における最も輝かしい進歩の一つであったと思う。 271

日本学術振興会の資金で、四人の研究者に五つの地域において、精神疾患全般の負荷事情を調査した。東京を二つ、那覇、小樽、秋田である。 その結果、発端者数792, 発端者を除いた同胞数を4115人について精神医療調査ができた。この結果、精神分裂病は0.75%、躁鬱病は0.21%、真正癲癇は0.32%、進行麻痺は 0.64%という数字が出た。Stroemgren は、同じ疾病について、0.70%、0.20%、0.35%、0.33%という数字を出していて、これは、進行麻痺以外は、とても似ている。 「我々の得た数字と比較して、進行麻痺を除いた他の主要遺伝精神病の比率が、いかに彼我相近接しているかを知って驚くのである。」273.

十字架像

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十字架像を使って何かを言う必要があって、同僚に頂いた Phaidon から出ている Crucifixion という十字架の磔刑像の傑作集の素敵な本を見ながら、どの画像を使おうか考える、楽しい時間を少し過ごした。私が一番好きなのはプラドで観たベラスケスの作品で、これは話にはあまり合わなかったけれども、とにかく使う。あとは、グリューネヴァルトとダリを使うことにした。私は知らなかったけれども、ダリは、自分の作品を、グリューネヴァルトの作品に対するアンチテーゼとして描くと宣言したそうだから、ちょうどいい。

瀬戸内海の小島の精神病調査

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萩尾了・長尾茂「近親婚地域の精神的遺伝負荷の研究 第一回兵庫県家島群島の調査(1)」『精神神経学雑誌』47(1943), 529-536.
著者は厚生科学研究所。これは、精神的遺伝負荷の地域的差異に関する研究の第一着手として、昭和17年7月に施行した調査成果の一部である。兵庫県衛生課と家島町役場の配慮を得た。猛暑の中を佐瀬仁、東大医学部学生の馬場、西川、日野の協力を得た。
家島群島の中の坊勢島という一小島の調査、周囲は一里、農地なく、住民は漁業。古来、他の島との血の交流はほとんど行われず、風習も異なる。他の島民はこの島を一種侮蔑的に見て、この島民は他の島民に対し猜疑と敵意を抱きやすい。

昭和17年7月、人口は1775人、島外在住者は124人、精神分裂病は4名、躁鬱は1名、癲癇は11名、病的人格は3名、精神薄弱は8名。精神分裂病は、定型的に痴呆で終わるものでhなく一時的なものであり、この数は少ないほうと考えるべきである。一方、癲癇は多く、精神薄弱も多い。学童の知能検査が著しく劣っていることも精神薄弱が多いことと関係がある。近親婚は、またいとこ婚を含めて20%で多い。ここから劣性遺伝病の発生確率が大きいことが予想される。これまで九州の孤立村について調査されたが、これらの村でも分裂病は多くないし、同じことが坊勢島についても言える。

孤立した集落における血族結婚によって精神異常が多く発生するというという考えは、私が小さい頃にも聞いた記憶があるし、横溝正史の金田一ものなどのような一連の大衆小説でもその主題を感じることがある。しかし、この主題は、この段階では確定したことではない。 これ以外にも戦後にわたって多くの調査が行われているのだろうけれども、どのようにして「孤立した集落の精神異常」の主題は、日本の言説のメインストリームに乗ったのだろうか。 

戦前東京の精神病調査

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岡田敬蔵、ハ名城政順・浅井利勇・詫摩武元・森村茂樹・坪井文雄「大都市に於ける精神疾患頻度に関する調査」『精神神経学雑誌』46(1942), 204-218.

八丈島、三宅島で精神病の一斉調査を行った。これらは、四囲より隔離されているので観察しやすく、狭隘な地域で交配を続けるという条件を備えており、その条件が精神病の遺伝的負荷に与える影響を調べるためには理想的な環境である。しかし、その一方で、これらの地域は、健康で能力がある若者が活動の地を求めて島外に出ているため、活動にツ適当な精神病者が島内に取り残されているという事情すらないではない。

それに対して、都会は農村とは正反対である。農村より多数の青壮年層の人々を吸収することによって、その殷賑と混沌とを加えている。であるから、農村の精神病調査だけでなく、都会の精神病調査も必要である。

 選ばれたのは池袋町の一町会で「M町」、池袋から西方数町のところにある。商店街ではなく、大部分が山の手の住宅地に属し、その半ばは中流の屋敷町である。特殊女学校の寄宿舎と、神学校寄宿舎がある。後者は相当面積を占め、敷地内に教師住宅が数個ある。総世帯数は537戸。(この記述に合う町会で、「M」という頭文字を持っているのは、「丸山」であろうか。)

調査方法:我々はかかる大都市における調査には、甚だしい困難が伴うのではないかと予想したが、結果は、一両年来確立された隣組組織の円滑な運用によって、以上の懸念が杞憂であったのみでなく、かえって著しく調査が軽易であったように思われた。町会長より部長へ、部長より群長へ、さらに隣組長より各家庭への連絡は、間然するところなく行われ、健康調査の名目の下に、大多数の家庭はこころよく己が家庭の事情を打ち明け、またその成員を立ち会わせ、さらに進んでこの機会に健康相談をなし得たことを喜んだものが少なくなかった。しかし中には調査に対して不快な態度を示し、調査者を困惑させたものも皆無ではない。しかもそれらが中流以上の家庭に多かったのは極めて遺憾である。 207

全ての精神病者・異常者・薄弱者は全体の3%で、これは八丈島や三宅島に較べて低い。しかし、精神病質、異常性格者、薄弱などの数が少なくなっているので、濃厚な人間関係が存在する地域よりも発見されず、実際よりは相当低めに見積もられていると考えられる。 210

分裂病は、八丈島や三宅島よりも低いが、諸外国の数字よりも相当に高く、東京市の中流住宅地に予測された数字としては甚だ高い。大都市において当然予期されることであるが、亢奮や不潔などのために特別の保護監置を要するような著明な例が皆無であり、症状が比較的軽微で、不完全ながら社会生活の可能のもの、または慢性の欠陥状態にあるものなどが多数であった。具体的には、幻聴などの明らかな分裂病症状を呈しつつ、現在通学中の学生や、家庭人として不十分ながら家事に従事しうる中年以後の婦人、他人の保護なくして極めて低調な遊楽をこととする有名人の子息。 211 

大都市においては、地方住民中の健康者が集積しており、その意味から素質の良好な方への選択が行われていることが期待された。しかし、調査の結果は、さほど低い数字ではなかった。 216

「一見静穏に見える大都市住宅地内に、相当多数の精神疾患者が、明らかな病的症状を呈しながらもわずかに残った社会的適応力により、世人からは明白に精神病者とは思惟されずに生活しているという事実である。これらは、いわば、社会に潜伏している病者とも言うべきもので、知らずにあいだに各方面へ影響を与えているものである。」217

小諸の精神病調査と奇怪な建築

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秋元波留夫・島崎敏樹・岡田敬蔵・は名城政順「地方小都市に於ける民勢学的及び精神医学的調査」『精神神経学雑誌』47(1943), 351-374.
八丈島、三宅島、池袋に続いて、地方の中都市を選んで行った精神病調査。長野県の小諸をえらび、人口の約40%の5207名を選んで調査した。血族結婚は低い地域である。精神分裂病は普通であったが、躁鬱病が非常に高かった。このうち、大部分が周期性うつ病で、躁病はわずか一例であった。

症例をひとつ。コンクリート住宅を自分で建てようとした患者。精神異常者が建てた奇怪な建築と言えば、東京の「二笑亭」が有名だけど、ここでも少し似た症例があった。

男、61歳、長野県人、元警察官。14年前から夫婦だけで自宅をコンクリートで建築せんと企て、少しずつ金をためては材料を買い求め、他人を煩わさず全く独立で工事をすすめてきたが、現症や資材不足のためいまだ完成に至らず、この2,3年は工事も中断されている。患者は夫婦でこの未完成の奇怪な建物に住んでいる。本人が刑事在職中取り扱った被疑者が自分を恨んでいるといい、その亡霊が夜になると自分を襲ってくるとて甚だしく恐怖し、この亡霊の襲撃を防御するのだといって縁の下に深い隠れ穴を掘ったり、あるいは患者自身攻撃を受けているごとく思い、「殺しちまえ、やっつけちまえ」などと叫びながら彼方を抜いて路上に飛び出して興奮したため、長野市の某精神病院に収容された。
 現在は理路整然としているが、朗らかで気分は昂揚しており、多弁であり動作もいたって活発である。また現在住んでいる家のごときも、コンクリート建ての素人建築で、未完成であるから奇怪ではあるが、そのプランを説明してもらってみると、ごく平凡で、別に常識で理解し得ぬような不合理なものではない。

昭和戦前期の浮浪者と精神障害

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村松常雄「東京市内浮浪者及び乞食の精神医学的調査」『精神神経学雑誌』46(1942), 69-92.

これは内村の系列の精神病者一斉調査とはまったく違う哲学に基づいて行われた調査である。思想としては、大正期の呉秀三のものであるように思う。この程度の調査が実施されるのに、なんと昭和16年までかかったということに、日本の精神医学の脆弱さと呼べるものがあると私は思う。ポイントは、浮浪者・乞食を400人ほど調べて、その半分くらいが精神薄弱・精神病にかかっているということを発見したということである。

S14年12月14日より東京市内浮浪者及び乞食の一斉調査を行い、養育院においてこれを詳しく調査する機会を得た。合計で、419名(男364名、女55名)の浮浪者・乞食を得た。(浮浪者と乞食の区別や内訳などは面白いのだけれども、省略する。)このうち、精神薄弱その疑いが、合計120名、精神疾患およびその疑いが76名で多い。後者では、精神分裂病が47名で多かった。浮浪者の半分程度が精神障害を持っていたというのが村松らの見立てである。一方で、身体的な所見としては、視力障害が多く、内訳は全盲が13名、中等度以上が11名、脳性まひが20人であり、精神的な所見のほうが圧倒的に多い。特に、精神薄弱が多いのは、我が国にこれを収容する施設がないことと深い関係があるという。

出家乞食や武者修行などを除くと、真に生活の恒常的落伍者としての浮浪者及び乞食はその社会的生活力の欠損ないし喪失の主原因を社会的条件よりはむしろ心身いずれかにおける疾病ないし異常、すなわち医学的条件に見出し得るものの多きことが、本調査によっても明瞭である。ことに、精神病による痴呆者あるいは白痴者、重症痴愚患者のごときは家族的庇護または社会的保護を失えばただちに浮浪、乞食にその声明を保持するほかに途なきものであって、少なくともかくのごとく場合には社会的原因の副たるべきは極めて明瞭である。したがって、これらの精神病者、精神欠陥者に対する社会施設の貧弱なる我が国において浮浪、乞食の数がこの程度にとどまっていることは多くの家族がこれらの保護にいかに努力しているかを示すものとも解せられる。 88

「民主的な」疾患

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Riley, James C., Rising Life Expectancy: A Global History (Cambridge: Cambridge University Press, 2001)

疾病への罹患や致死率や健康状態などが、一般的に言って、社会経済状態に反応して変化すること、つまり貧困な人間は総じて不健康であって病気によくかかり、富裕な人間はその逆であるということは、現在では誰でも知っている。プロの研究者にとって重要なのは、その反応の敏感さが疾病によって違うこと、つまり社会経済状態に強く反応して貧民がとてもよく罹る疾病もあるし、その反対に、誰もが平等にかかって平等に死ぬ疾病もあったということである。後者は平等だから「民主的な疾病」、前者は貧民が差別的によく罹患するから「非民主的な疾病」という。民主的な疾病のジャンルに分類されるのは、天然痘、腸チフス、インフルエンザなどであり、後者では結核が有名である。

The life expectancy and health status showed greater social differentiation in the 19c. The peerage and other favoured groups drew ahead in life expectancy in the first half of the nineteenth century also because urban unskilled laborers and their family members fared so badly. Another part of the explanation lies with tuberculosis, a disease often termed “undemocratic” because of its strong association with socioeconomic status, mediated by crowding, poor nutrition, poorly ventilated and dank housing, and perhaps also overwork. In contrast, influenza is a “democratic” disease because it does not exhibit these differences. 141

杏仁水

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風邪で病院にいっていただいたお薬で、咳止めのシロップ状のものがあった。OTCでも処方薬でも咳止めといえばトローチだと思っていたので、液体状の咳止めというのがレトロな感じで、医学史家としてはなんとなく嬉しかった。頂いた明細書を見ると、その液体は、主に「杏仁水」とのこと。私が持っている昭和21年刊の『最新医薬品類聚』を調べたら、ちょっと面白い歴史があった。

もとも杏仁というのは漢方でも薬であり、咳嗽を治し肺熱を除く。中国原産で、アンズの種子を乾燥したものである。アンズは中国では庭園にあまねく植栽される落葉灌木。日本では長野県が主産地で、アンズの果実よりほしあんず、ジャム、缶詰などを製造し、杏仁はその副産物である。

杏仁水は、1891(明治24)年に日本薬局方第二版に収録された。1906(明治39)年の第三版には、「バクチ水」と「苦扁桃水」も収録された。前者は、日本の南西に自生する「バクチノキ」の葉から作る咳止め作用をもつ薬であり、後者は、苦いアーモンドということらしい。食用のアーモンドは「スイートアーモンド」であり、ビターアーモンドには青酸化合物が多く含まれるので摂取し過ぎると有毒であるが、薬にすると咳止め効果があるという。しかし、この苦扁桃水は、日本では非常に高価であり、製造の必要はなく、外国の薬局方に記載されているという理由だけで新たに記載したものだという。その思想を反映したのだろうか、1920(大正9)年の第四版では、苦扁桃水を削除し、他の国産品を保存することになった。

1930(昭和5)年の改正では、「バクチ水」という項目を廃して、「杏仁水」の中にバクチの葉から作ったバクチ水も入れることにした。1939(昭和14)年には、シナ事変の影響による改正があり、そこでは杏仁水の中に、枇杷仁も原料に加えることとし、また、ドイツの薬局方にならって化学的な製法も記して、原料の欠乏に備えるにいたった。

これだけの記述だけれども、杏仁水の原料の確保というのは重大な仕事であったことが分かる。ここからは想像だけで書くけれども、たぶん、これは、結核の治療でルーティンとして使われる咳止めだったのだろう。その原料を輸入に頼っており、戦争になると原料の確保が問題になった。おそらく、中国原産のアンズの輸入が絶えたので、アンズを原料として作る杏仁水では需要にこたえられなくなったのだろう。「杏仁水」の中に、まずバクチノキの葉を加え、次にビワの種子も加えて、さらには化学的な製法も加えて、杏仁水の需要にこたえようとしたのではないだろうか。

そんな知識を仕入れて服用した杏仁水は、シロップとはほど遠い、苦い味がした。(これは「苦みチンキ」が入っているせいかもしれない。)ねっとりと甘いシロップもレトロだけれども、この味もレトロだった。

医学と文学

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Charon, Rita, Narrative Medicine: Honoring the Stories of Illness (Oxford: Oxford University Press, 2006).
Hawkins, Anne Hunsaker, “The Idea of Character”, in Rita Charon and Martha Montello eds., Stories Matter: the Role of Narrative in Medical Ethics (New York: Routledge, 2002), 69-76.
必要があって、手持ちの「医学と文学」系の本にさっと目を通す。

医療人文学 medical humanities の中には、いくつかの区分けがあって、医学史、医療人類学、医療倫理学などのほかに、「医学と文学」や「医学とナラティヴ」などの問題を主として取り扱う一群の人々がいる。他の区分けが、歴史・人類学・倫理学といった、それぞれアカデミックなトレーニングの体系を持っているのに対し、この領域は、批評理論などを使いテキストをきちんと読むプロの文学研究者もいるけれども、自分の診療や患者との出会いなどの物語的構造などについて語る医者も多いという特徴を持っている。良きにつけ悪しきにつけ「文学」や「物語」というものが、一番敷居が低くて、現場の医者がとっつきやすいということを象徴している。

私はこの主題に興味はあるけれども、こう、主題としてまとまりがつかなくなっているという印象がある。特に、その第一人者のリタ・シャロンが言うことがおかしい。20世紀の後半に、医者の自立性が失われ、臨床が歪んだものになってきており、医療が「ナラティヴ」の側面を持っていることが、それを正すだろうという発想そのものはいいだろう。しかし、保険と行政によって硬直した臨床の問題をただすこと、あるいは健康の商品化によって受動的なものにされた医療職の自立性を回復すること、発展途上国における不健康の問題などを解決すること、これらの問題が「ナラティヴ医療」がもたらすヴァイタリティによって希望が見えるかのように書いているのは、NBMの可能性というよりも限界や孤立をさらけだしている。

この論文集の中に、ソリッドな文学研究の訓練をうけたホーキンズが面白い論文を書いていた。冒頭、がんの患者に治験の新薬を投与する合意書にサインさせる医者たちのエピソードを語ったあとで、このエピソードは、実は自分が作ったものであり、ソポクレースの『フィロクテテス』になぞらえた話を現代医療を舞台にして創作したものであるという形式で論じていた。なんておしゃれな(笑)

ベリーニ『サン・ロレンツォ橋の聖十字架の奇跡』

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今日は、ちょっと妙なことを書かせてもらいます。

ジェンティーレ・ベリーニによる『サン・ロレンツォ橋の聖十字架の奇跡』(1500)という有名な絵画がある。ヴェニスを描いた絵画で、祭礼の途中、運河に取り落とされた聖十字架を、聖ヨハネ同信会の会長が運河に飛び込んで拾い上げた場面が描かれている。

この絵画を、先月号の『芸術新潮』で観た時に、とても奇妙な感じをもった。これまで、どの絵を見た時にも感じたことがない印象で、ある種の精神病理的な奇妙さすらある感覚である。ありていにいうと、「自分は、この絵の中に一度存在したことがある」という感覚である。記憶とすら言ってもいい。サン・ロレンツォ橋という地点は記憶にないが、ヴェニスは何回も行っているから、その感覚かとも思うけれども、少し違う。この絵が描く場所ではなく、この絵が描く情景の中に存在したのである。虫眼鏡で、描かれた人物の顔を一人ずつ見ていったけれども、自分だと思う人物はいなかったし、そのことは大きな問題ではない。その記憶は、もしかしたら、一度みた夢を思い出しているのかもしれない。この絵の中に入っていく夢を見たのかもしれない。

14世紀中国にペストは来たか

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Sussman, George, “Was the Black Death in India and China?”, Bulletin of the History of Medicine, 85(2011), 319-355.
14世紀なかばのヨーロッパをペストが襲い、人口の三分の一程度が死亡する史上最大規模の疫病となったことはよく知られている。この病気はペストではなかったと主張する歴史学者たちもいたが、DNAの痕跡を検出する考古学の調査結果は、墓地の死者はペストで死んでいることを示したから、この論争はほぼ終わったと私は思っている。あとはDNA考古学のリライラビリティの問題である。

おそらく次の論争の中心は、中世にペストによって侵された地域的な範囲であろう。この疫病は、ヨーロッパ以外にも広がったのかという問題である。この問題について、最も影響力があるのは、いまから50年ほど前に書かれたウィリアム・マクニールの著作であって、そこでは、中央アジアのげっ歯類に拠点を持つペストが、モンゴル帝国の版図の通商により、その西側では黒海から地中海に伝えられてヨーロッパに大流行を起こし、東側では中国で人口を激減させる大疫病になったのではないかという仮説を提唱している。これが仮説であることは、マクニールももちろん認めていて、ペストであることを示唆する証拠は何一つ議論されていないにもかかわらず、この「中世の中国にペストは大被害をもたらした」という説は、帝国の成立と、その内部で容易になった疫病の拡散という形で、説得力がある説明としてなんとなく語られていた。

この説明を根本から再検討した論文が、この論文である。ついでに、インドにペストが侵入したかどうかも検討している。結論から言うと、ヨーロッパの黒死病の時期には、インドも中国もペストを経験していないと主張する。それにあたる記録が見つからないのである。はっきりとペストであると言えるのは、インドだと17世紀、中国だと18世紀末の雲南であるという、これまでの確実な知識を追認している。

ただ、この論文は、何かを見つけたわけではなく、「何も見つからなかった」ということを報告する論文である。きっと、さまざまな反論が可能なのだと思う。この問題は、しばらく論争の対象になるだろう。

「くる病」の表象

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必要があって、「くる病」が大衆文学の中で使われた例を一つチェックする。文献は、横溝正史『仮面舞踏会』。江戸川乱歩の作品が戦前の医学史にとって重要なインスピレーションになるのと同様に、名探偵の金田一耕介が活躍する一連のシリーズは、戦後の日本における、身体と精神の病理に対する偏見と病的な好奇心を示してくれるとてもいい素材だと思う。

『仮面舞踏会』の中で「佝僂病」と連呼されているのは、最終的には連続殺人事件の犯人であることがわかる少女である。華族の血を引くおしとやかなお嬢さんだと思われているが、実は色情狂でわいせつで道徳心のかけらもない人格を隠し持ち、その人格が現れてくると、顔の表情も姿勢もかわってしまう。その様子が「佝僂病」と表現されている。三か所を引用する。

美沙は佝僂病のように背中をまるめ、顎をまえにつき出して、ギタギタするような眼で六人の顔を見くらべていた。憎悪の火を吹きそうな眼であった。身構えをするように胸のまえでかまえた両手の指は、鷲掴みのようなかたちに湾曲していて、ワナワナとふるえていた。唇がおそろしくひんまがり、そのために顔全体がイビツにみえた。病的にねじれた唇から、いまにも泡を吹くのではないかと思われた。
 金田一耕介もいままでずいぶん多くの凶悪な男女の凶悪な形相を見てきたが、そのとき美沙がみせたような醜悪な形相をみるのははじめてだった。それがまだ十六歳の少女だけに、その恐ろしさはよりいっそう深刻だった。そこにはあきらかに精神的奇形があらわれていた。 428-9

「それはもう人間の顔ではなかったのです。悪魔の顔です。魔女の顔です。いいえ、魔女よりももっともっと恐ろしい顔、物凄くねじれてひんまがって、しかも笑っているようにもみえたのです。体さえふつうではありませんでした。背中がまがって、顎をつきだし、ゴリラのように両手を垂れ・・・不潔で、淫猥で・・・いや!いや!あたしもう二度とあんな顔を夢に見たくありません!」528

「佝僂病の少女を見たのです。(中略)しかし、佝僂病みたいに背中がまがって、顎をつきだし、両手をダラリとまえへ垂れて・・・」538.

モンゴルとVogue

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いま発売中の Vogue (UK) は、モデルをモンゴルに送り込んだ撮影の特集を組んでおり、これがものすごく面白い。もともと、帝国の中枢のハイ・ファッションは、エキゾティックな趣味を取り込むのに熱心で、Vogue はこの方向の特集を何度か組んでいるけれども、このモンゴル特集は秀逸な出来映えである。もちろん伝統衣装、伝統的な仏教寺院、伝統的な庶民の家であるゲルなどもファッション写真の中に織り込まれているが、自然や動物を積極的に取り入れたのがいい。ある種のトナカイに馬のようにまたがって乗るモンゴルの少女だとか、湿地帯に棲むヤクのような牛にまたがって長毛のコートを着るモデルだとか、あるいは草原や森林の草花や木の枝の使い方など、21世紀のネオ・インペリアリズムの美学があふれていると思う。キルシ・ピルホネンというフィンランド人のモデルも雰囲気に合っている。

医療人類学の最前線―ワークショップのお知らせ

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慶應義塾大学CARLS 哲学・文化 人類学グループ 医学史研究会 合同シンポジウム
医療人類学の最前線V
統合失調症、人種、公民権運動:精神病をめぐる文化の政治学
~Jonathan Metzl先生をお迎えして~
日時:2012年1月26日(木)12:30~14:00
場所:慶應義塾大学三田キャン パス 大学院棟 346 教室
l 東京都港区三田2-15-45
l JR線田町駅、都営地下鉄三田線・浅草線三田駅、もしくは都営 地下鉄大江戸線赤羽橋駅より徒歩10分
l <http://www.keio.ac.jp/ja /access/mita.html>(キャンパスマップ、9番の建物の4階です)

Liberation Psychosis:
DSM Terminology and Political Activism during the American Civil-Rights Era

Jonathan Metzl, MD, PhD

Frederick B. Rentschler II Professor of Sociology and Medicine, Health, and Society, Director, Program in Medicine, Health, and Society,
Professor of Psychiatry, Vanderbilt University

コメンテイ ター:鈴木 晃仁(慶應義塾大学:医療史)
司会:北中 淳子(慶應義塾大学:医療人類学)


慶應義 塾大学CARLS 哲学・ 文化人類学グループ 講演会  医療人類学の最前線VI
診断の揺らぎ:鬱のジェンダー&こどもの心と病
~精神医学と人類学の対話から
日時:2012年1月28日(土) 12:45~17:00
場所:慶應義塾大学三田キャンパス 東館6階 G-SEC Lab
 東京都港区三田 2-15-45
 JR線田町駅、都営地下鉄三 田線・浅草線三田駅、もしくは都営地下鉄大江戸線赤羽橋駅より徒歩10分
 <http://www.keio.ac.jp /ja/access/mita.html>(キャンパスマップ、3番の建物です)



 「医療人類学の最前線」シリーズ6回目では、うつ病研究で大変著名なJonathan Metzl先生をお招きし、北米の精神科臨床から浮かび上がってく るう つ病診断と、ジェンダーについてお話いただきま す。第二部では、近年日本でも急速に関心の集まっているこどもの心の病をとりあげ、精神医学の立場から、黒木俊秀先生にこどもの鬱を、田 中康雄先生に発達障害をテーマにお話いただきます。また、文化人類学の立場から、照山絢子先生、堀口佐知子先生にご講演いただき、こ ども の心の病の複雑さと「診断の揺らぎ」をめぐるさまざまな問題について考えてみたいと思います。
第一部 12:45-13:50  鬱のジェンダー
12:45-13:00  鬱のジェンダー 日本の視点
北中 淳子(慶應義塾大学:医療人類学)
13:00-13:50 Gender in the Diagnosis of Depression
Jonathan Metzl(Vanderbilt University:精神医学)
第二部 14:00-17:00 こ どもの心と病
14:00-14:50 憂 うつ なる思春期、終わりなき思春期
黒木 俊秀(国立病院 機構 肥前精神医療センター:精神医学)

14:50-15:20 「ひ き こもり当事者」・支援者の戦略とアイデンティティ:
「ひきこもり」ラベルを巡るダイナ ミク スを追う
堀口 佐知子(テンプル大学:文化人類学)

15:30-16:20 発 達障 害診断の揺らぎ・支援への戸惑いから柔軟性へ向けて
田中 康雄(北海道大学:精神医学)

16:20-16:40 発 達障 害者の語りから:オルタナティブな「当事者」性に向けて
照山 絢子(ミシガン大学:文化人類学)

16:40-17:00 コ メン ト& 全体討論 宮坂 敬造(慶應義塾大学:文化人類学)

司会:北中 淳子(慶應義塾大学:医療人類学)
★参加費無料です。事前登録の必要はありません(100人まで)。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
主催・企画 :慶大人文GCOE哲 学・文化人類学チーム  <http://www.carls.keio.ac.jp/&gt;
お問い合わせ先 :濱 雄亮(慶應義塾大学文学部非常勤講師)<yusukehama@a6.keio.jp>

三宅鉱一と心因論の社会史へ

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三宅鉱一(1876-1954)は、医学の名門に生まれ、父、三宅秀は東京帝国大学の教授であった。呉秀三の後を継いで、1925年に精神病学講座の教授となり、1936年に退官した。25冊以上の書物を出版し、その中でも『精神病学提要』は1932年から39年までに五版を数え、『改訂精神病学提要』は1943年から62年まで九版を数えた、20世紀中葉の日本の精神医学の標準的な書物であった。

三宅の知的な軌跡は、日本の精神病を広い文脈で捉えるときに、重要な意味を持っている。呉秀三にならって、三宅自身が1904年から1907年にかけて留学したときには、ウィーンのオーバーシュタイナーや、ミュンヘンのクレペリン、アルツハイマーなどのもとで、脳の組織の研究の病理学を学んだ。知的な出発点は、クレペリンに影響を受けた、精神病は中枢神経の細胞の病理によって起きるという、いわゆる器質的な精神医学であった。しかし、三宅はドイツの精神医学における新しい潮流にも敏感であり、器質的な理解を補い、部分的には修正するものとして、心理的な原因によって起きる精神病にも積極的に注目していた。ドイツにおいては、第一次世界大戦のシェルショック・戦争神経症の結果、これを心理的な原因によるものと解釈しようとする態度が興隆した。三宅は、この潮流に乗ろうとする。ただ、三宅の時代の日本においては戦争神経症そのものは大きく取り上げられた精神病ではないので、災害神経症、外傷性神経症などを例として挙げている。

それらの狭く定義されたものだけでなく、より広い場合にも使えることを示すのが、松沢病院・東京帝大医学部における臨床講義をまとめた『精神病学余瀝』における、心因性の精神病を取り上げた部分である。(「心因性反応」『精神病学余瀝』中巻、347-358)そこでは三人の患者の症例が語られているが、これらは、ヒステリーや神経衰弱などに見えるが、いずれも心因性反応であり、元来の性格に病的な素質があったのに加えて、家族の死や家庭の経済的な苦境などの心理的な原因で、精神病となったものと分析されている。症状が現れるメカニズムは、いつもは意識下に沈められている心理的な活動が、病によって浮かんでくることであると議論されており、フロイトの精神分析に代表される無意識の理論も用いられている。

心因精神病は、三宅が「生気術」と呼んでいる現象が起こした精神病を理解する概念としても用いられている。ここでも、三宅はドイツでの精神医学上の潮流に範をとって、それを日本の対応する現象に適用している。かつては過度な宗教の信仰によって精神病になるという考えは一般的であったが、クレペリンらの器質主義的な理論とともに、その原因論は退いたが、大戦後のドイツでは、心霊主義(スピリチリスムス)が流行し、それとともに、心霊術によって精神病になったのではないかという考えが復興した。この考えを日本の例に適用したのが、『精神病学余瀝』の「生気術による精神病」(359-69)である。そこでは、妻が大本教に凝って精神に異常をきたし、夫にも生気術をかけた結果、精神病になって松沢病院に収容された48歳の官吏の症例が分析されている。

これらの事例を、「器質論から心因論へ」ととらえることは、精神医学における理論と病因論の変化という、事態の一部しかとらえていないことになる。心因論の登場により、患者たちは新しい形で自己をとらえるようになり、患者の家族たちは、精神医学と精神病院というものを新しい見方で見るようになり、新しい使い方をするようになった。精神病院の症例誌は、この部分に光を当てることを可能にする資料である。

山本太郎『感染症と文明―共生への道』

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山本太郎『感染症と文明―共生への道』(東京:岩波新書、2011)
「感染症と文明」というのは、私自身の仕事の一つの柱であり、それを主題とした岩波新書が現れたので期待して手に取った。正直言って、全体的な出来にはあまり感心しなかった。同業者だから点が辛くなるのだろうけれども、他の学者の議論や素材を借りている部分があまりに透けて見えて、それが自分の議論の中に消化されていない印象を持った。この理由を想像するに、著者が実地の医療に忙しい国際保健学者で、感染症と文明を、歴史を素材にして正面から扱ったオリジナルリサーチをしていないということと、構想からわずか二年で書き上げたということが原因だろう。どんなに頭がいい人でも、ある主題についてのオリジナルリサーチをして議論をまとめる経験を持っていないと、深みが足りなくなるものである。才気渙発で短く鋭いコメントを飛ばす能力と、長い記述をサステインする能力は、たぶん少し違った性質のもので、後者の能力は、オリジナルリサーチの経験によってのみ培われるものだと思う。歴史を扱った新書を書くためには、やはり歴史のオリジナルリサーチをしたほうがいいし、国際保健学者ならではの歴史のリサーチというものがあるはずである。準備期間については、この問題は、すでに十分に複雑な議論が発展していて、二年で重要な先行研究を消化して優れた新書を書き上げることは難しくなっている。正直な話、私自身も、遠い将来に、こういった本を書いてみたいと思っているけれども、三年はかかるだろうと思う。厳しい言葉かもしれないが、「拙速」の印象を持った。

でも、実地の医者らしい素晴らしい説明が随所にあった。たとえば、冒頭に置かれた1846年のフェロー諸島の麻疹流行と1875年のフィジー諸島の麻疹流行で話を始めたのは素晴らしかった。フェロー諸島の流行では、最終的に約8,000人の島民のうち、約900人は最後まで感染を免れたことを説明する中で、集団免疫を導入したのは、ああ、こう説明すればいいのかと思った。「流行の進展とともに、感染性をもつ人が接触する人のうち、感受性を持つ人の割合が低下する。そのことが流行収束の主な理由であることがわかる。言い換えれば、最後まで感染しなかった人は、すでに感染した人によって守られたと言える、専門用語でいえば、これを『集団免疫』と呼ぶ。」4

ラヴェル

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私のような素人の音楽愛好家にとって一番不思議な作曲家はラヴェルだと思う。『夜のガスパールのような』前衛的な作品を作曲すると同時に、『ボレロ』のような大衆受けする作品も見事にそれっぽく仕上げている。この二つの作品が同じ作曲家によるものだということは、私にはちょっと思いつかない。彼の音楽を評して、 Beauty that conceals disturbing depth. という表現があった。

ラヴェルは、現在はほとんど上演されないけれども『子どもと魔法』というオペラを書いている。子供の心理と子供からみた世界を描いた面白い作品らしい。クリスマス用のオペラにどうだろう。

兵頭静恵「がん闘病記に見る,患者が勇気づけられた他者の言動」

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兵頭静恵「がん闘病記に見る,患者が勇気づけられた他者の言動」
先日の「痛みと闘病記」で聞いた、神戸市看護大学で助教をされている兵頭静恵さんの報告が素晴らしかった。81冊のがん患者による闘病記の中から、患者が勇気づけられた他者の言動の部分を抜き出して、それが誰によるものか、どのような内容なのか、ということを分析した論文。愛媛大学で新人賞のようなものを貰った優れた研究であるとのこと。

この手の分析は、気を付けないと、分かっている目標を確認するようなことになってしまうものだけれども、この分析が描く、患者の元気を支えていく環境は、告知から入院まで、入院中、退院後と変化していくこと、それぞれ、家族や同じ病気の患者や同僚など、別のタイプの人々が患者に勇気を与えていることがわかる。そして、一番面白かったのは、筆者が「メディア」と分類したものに勇気を与えられた患者が非常に少なかったこと、そして、筆者としてはショックだったそうだけれども、「看護師」から勇気をもらったと記している闘病記も同じくらい少なかったことであった。

このことを的確に表現するのは難しいだろうけれども、世の中で「患者に勇気を与える」と称して提供されている番組や、歌番組などでルーティンのように紹介される「この歌に勇気をもらいました」という情報から受ける印象とはだいぶ違う姿が見えてきた。メディアが「がなり立てている」という印象を受けることすらある患者へのモラルサポートは、実はそれほど闘病記には記されていない。もう一つは、看護師たちが、その世界にあまり現れてこないことは、医療の体制が、専門家支配から患者の自己決定へと動いていく中で、専門家の道徳的な意味が相対的に低下していくことを表している。看護師が患者のモラルサポートであまり記録されていないという事態は、それが悪いことであると思って、その状況を改善しなければならないと論じる偉い看護師もいるのかもしれないが、私自身は、良いことでも悪いことでもなく、ある意味で不可避のことであってあると思っている。(たとえばアーサー・フランクは、患者同士の意味合いの上昇と医療職の相対的な意味の低下に触れている。)メディアも、専門職も、患者を勇気づけることができた時代、あるいはできると信じることが良いことであった時代があったのだろう。その時代は終わりに向かっていると私は思うし、それはある階級にとっては良いことだと思う。
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