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Channel: 身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌
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式場隆三郎と精神病患者の芸術

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大内郁「日本における1920~30年代のH.プリンツホルン『精神病者の芸術性』の受容についての一考察」『千葉大学人文社会科学研究』(16), 66-79, 2008-03.
19世紀の中葉から、精神科医たちは精神病患者の「作品」に大きな興味を持っていた。それは、彼らが語った言葉であり、記録した文章であり、描いた絵画であった。多くの精神病院で、精神病患者が描いた絵は保存されており、その中でも20世紀初頭のハイデルベルク大学は、精神病患者が描いた絵を大規模に収集し始めていた。プリンツホルンは、そのコレクションを受け継いで発展させ、1922年に『精神病患者の芸術的創造性』を出版した。この書物は、マックス・エルンストやシュールレアリストなど、当時の多くのアヴァンギャルドの芸術家に受容され、精神病患者が造りだす芸術という概念を確立した。一方で、1930年代からは、ナチスの「退廃芸術論」が強力に展開され、1937年にドイツを巡廻した「退廃芸術展」においては、モダニズムの絵画が病的であるというプロパガンダがされた。この状況を著者は「二つの引き裂かれた局面」と呼んでいる。

日本においてもプリンツホルンは紹介され、それとともに精神病患者の芸術という考え方も導入された。ここで重要な役割を果たしたのが、戦後の山下清の「発見」で名高い精神医の式場隆三郎である。式場は、昭和7年のゴッホ論や、昭和12年の二笑亭論などで、精神病と芸術について発信する知識人・文化人としての地位を固めつつあった。しかし、昭和13年以降、式場は精神病者と芸術との関係について沈黙するようになり、これは、ドイツの退廃芸術論が日本に受容されたのと軌を一にしていた。

前衛芸術と精神病患者の関係について、多くの重要な文献、特に美術史関連の資料が調査されていて、とても参考になった。

画像は、プリンツホルン・コレクションよい。

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