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Channel: 身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌
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敬虔な優生学者 アレクシス・カレル

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Reggiani, Andr?s Horacio, God’s Eugenicist: Alexis Carrel and the Sociobiology of Decline, with a foreword by Herman Lebovics (New York: Berghahn Books, 2007).
アレクシス・カレルはフランスで生まれて医学教育を受け、カナダとアメリカに移住してニューヨークのロックフェラー研究所に勤め、1912年にはノーベル医学・生理学賞を受賞した医学者である。受賞の対象となった業績は、血管の縫合と、臓器移植についての実験である。アメリカが初めて自国に迎えた医学賞の受賞者であったという。カレルがロックフェラーで行った一連の実験とその内容・発表は、科学者らしい抑制を取り払ったド派手なもので、実験室での助手にすべて黒衣を着せるだとか、自分の達成を劇的に見せるために実験の難しさを強調するといった、「科学の進歩の劇場」のテクニックをふんだんに使ったものであって、他の医学者たちには不評であった。

1930年代には、カレルは医学研究の第一線を退いて、1935年にはMan, the Unknown(『人間―この未知なるもの』)という一般向けの著作を書いた。これは、19世紀の科学の一般化のパターンである、基本的には素人の書き手が一般向けに書いた科学啓蒙書とは違う20世紀のパターンに沿ったものであって、ある専門的な分野で傑出した業績を上げた科学者が、学生や知識人に向けて書いたという性格を持っていた。それにもかかわらず、アメリカとフランスでこの書物は大成功し、すぐに世界の各国語に訳され、1990年代初頭までに20か国以上で200万部以上を売り上げている。

この書物は、フランスの田舎で育ったカレルがニューヨークに来て経験した現代文明を批判して、西欧文明の没落を医学的に説明し、その処方箋を書いたものであった。西欧文明の没落を医学的に説明すること (a medical model of cultural decline)は、19世紀の変質論以来の伝統をもち、それほど特徴的なことではなかったが、その処方箋は、民主主義を批判し、優生学の政策を語り、最終的にはナチスの政策を称賛するものであった。この著作の内容を象徴するかのように、カレルは第二次世界大戦でフランスがナチスに占領されると、ヴィシー政権の協力者となった。

このカラフルな医学者は、もともと敬虔なキリスト教徒であり、19世紀末のフランスの科学・医学に満ちていた反教権主義に反発していた。当時、シャルコーが批判し、ゾラがその「真実」を暴露する小説を書いていた巡礼地のルルドが、カレルの一つの出発点となっていた。彼は、ユイスマンスなどによるゾラへの反論に共感し、ルルドを訪問した時の宗教的な感動を記した自伝的な文章を若いころに執筆している。カレルの生涯と医学研究には、宗教性が大きな影をおとし、このことは、カレル(と同時代の医学)が主張した、還元論的な医学から脱皮してホリスティックな医学を作ろうという思想に影響を与えた。また、文明を医学的な手段によってすくうことを叫んだ『人間、この未知なるもの』にも、保守主義とキリスト教信仰が影響を与えている。

20世紀の後半になって、カレルは不思議な「復活」を果たし、再び話題の中心になった。フランスの極右の政党はカレルを称賛してたたえ、一方で、左翼からは激しく批判され、かつての偉大な医学者の名を冠してつけられた研究所や通りの名前から、カレルの名前は削られた。なお不思議なことに、イスラム原理主義もカレルに共感を示した。(ついでにいうと、カレルの日本語訳は、1938年に桜澤如一というホリスティックな医者によって行われているが、それに加えて、2007年には右翼と優生学の論客の渡部昇一によっても行われている。


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