水上勉『精進百選』(東京:岩波書店、2001)
「料理本」の話をしているときに、尊敬している若い学者がこの本の話を出したので、さっそく買って読んでみた。
冒頭に、自分の禅僧としての修行のありさまと、老齢になっての大きな心臓病の患いのあとで信州に移ってきた話をして、そこで畑を耕し庭でできた精進料理をつくり食べる魅力が淡々と語られている。この部分がいい。私にとっては、お料理は物語の要素が大きくて、味覚そのものよりも、そのお料理にどのような個別の連想なりイメージなりが随伴するかということが重要である。それは、香水の魅力が、純粋な嗅覚の問題ではなく、それに伴うイメージによって決められるのと同じである。この物語の部分に加えて、写真付きで100点の精進料理が紹介される本編が続くという構成になっている。もともと著者が精進料理の修業をした寺の和尚さんがお酒をたしなまれたそうで、お酒のつまみとしてそのまま出せる料理ばかりである。
この本の話を出した人が、この本のレシピにそのまま従うことはありえないというようなことを言っていた。どんな個性的なレシピかと思っていたら、私の世代の人間にとっては何の違和感もないレシピだし、じっさい、家で作っているものとほぼ同じである。家で作っているレシピというのは、『向田邦子の手料理』から学んだものだと思うけれども。
「料理本」の話をしているときに、尊敬している若い学者がこの本の話を出したので、さっそく買って読んでみた。
冒頭に、自分の禅僧としての修行のありさまと、老齢になっての大きな心臓病の患いのあとで信州に移ってきた話をして、そこで畑を耕し庭でできた精進料理をつくり食べる魅力が淡々と語られている。この部分がいい。私にとっては、お料理は物語の要素が大きくて、味覚そのものよりも、そのお料理にどのような個別の連想なりイメージなりが随伴するかということが重要である。それは、香水の魅力が、純粋な嗅覚の問題ではなく、それに伴うイメージによって決められるのと同じである。この物語の部分に加えて、写真付きで100点の精進料理が紹介される本編が続くという構成になっている。もともと著者が精進料理の修業をした寺の和尚さんがお酒をたしなまれたそうで、お酒のつまみとしてそのまま出せる料理ばかりである。
この本の話を出した人が、この本のレシピにそのまま従うことはありえないというようなことを言っていた。どんな個性的なレシピかと思っていたら、私の世代の人間にとっては何の違和感もないレシピだし、じっさい、家で作っているものとほぼ同じである。家で作っているレシピというのは、『向田邦子の手料理』から学んだものだと思うけれども。
私が買ったのは文庫だけれども、もとの装丁はこんな感じなのか。これもインパクトがある装丁で、お料理の物語性を高めるだろうな。