中脩三「特に男子に於ける『ヒステリー』性強迫思考に就いて」『実地医科と臨床』vol.9, no.9 (1932), 747-760.
中脩三は九大の下田光造門下の俊英の一人で、台北帝大の精神科の教授をつとめ、戦後には九大や大阪市大で教鞭を取った。もっときちんと調べなければならない精神科医の一人である。
中脩三は九大の下田光造門下の俊英の一人で、台北帝大の精神科の教授をつとめ、戦後には九大や大阪市大で教鞭を取った。もっときちんと調べなければならない精神科医の一人である。
たまたま授業で同じ九大の櫻井図南男の論文を読んだときに、兵士の戦時神経症は当時の疾病概念では立派なヒステリーであるが、兵士をヒステリーと呼ぶことないことにすると書かれている部分があった。たしかに、戦時神経症を「ヒステリー」と呼ぶ習慣を日本ではついに定着しなかった。この呼称の選択の問題は、私にはまだ何も分かっていないけれども、面白い問題だと思う。それも含めて、日本の(男子)ヒステリー論を理解するためには、中脩三が昭和9年に書いている男子ヒステリー論を読む必要があるだろうというつもりで読んでみた。
もう一つ、ここでは「強迫思考」という言葉を使っているが、「強迫観念」という言葉は、私が読んでいる戦前のカルテの中で、患者によってしばしば使われている言葉である。精神医学用語の社会的広がりというのは、社会の心理学化などを論じるうえで重要な手がかりになる。「強迫観念」は医学の専門用語ではなく、人々がそれを通じて自己や他者の心とその問題を理解し経験していた言葉であった。
そういう意味で、非常な期待を持って読んだ論文であり、非常に面白かった。いくつかのポイントを列挙すると、まず、森田正馬を軸にして東洋流の精神医学を作ろうとしており、その中でのヒステリーと強迫観念論であること。フロイトやユングなどの精神分析系の強迫観念論は、精神徴候の説明には役立つが疾病の本質を理解するのには役に立たず、これは森田正馬の「東洋流精神療法」は疾病の本質を確認できる点において優れていると主張していること。第二に、「ヒステリー」という診断を男性にも使うために、その診断名がもつ強いジェンダー性を中和する仕掛けになっていること。つまり、ヒステリーという診断は女性の行動や性格を念頭において作られた症状の記述があって、なかなか男性には使われないが、実は男性にもヒステリーは数多く存在することを主張する。第三に、ヒステリーの男性への拡張とも関係があることだが、性格の問題と、青年期の人生の転機の問題に絡めて理解されていること。3人の患者の症例が問題になっているが、彼らの性格がもともと誇張的、飽き易い、虚栄的、競争心が強いなどの特徴を持っていること、また、このことは中流以上の家族の潔癖な心性あるいは「家風」と関係があること。つまり、男性ヒステリーは遺伝の問題でもあると同時に(図を参照)、家風の問題と後天的な性格の問題にもなったのである。それから、最後におそらく最も重要なのが、その治療の問題である。フロイト・ユング・アードラーらの精神分析系の治療は、患者に自己の徴候を客観視して自己統制をならさしめるなどの方法を採るが、これは莫大の時間と費用を要し、貧しい日本の患者にとっては現実的には不可能である。これは、宗教家の仕事であって、実地医家の仕事ではない。であるから、中が行ったのは、患者の自由を強制的に束縛してこれを監禁し、絶対に医療をしないことである。そう、医療を「与えない」ことが治療になるという。すなわち、患者の心的態度は、病人として扱われたがっており、これはあたかもモルヒネ中毒患者がモルヒネに頼るように、医師と薬に心理的に依存して病気となっている。だから、医師と薬物を禁断する監禁的な環境に置き、これを通じて患者を「天運にまかせる」「死んでも良い」という「悟り」の気分を起こさしめ、これが自発的な精神修養にいたるというのである。放置こそが医療だというのか。ううむ。
画像は、ある患者の家系の表示。知的にすぐれた個人と、「低脳」、そして「身長短」や「短期」が混在していることを示す。