後藤真・田中正流・師茂樹『情報歴史学入門』(奈良:金壽堂、2009)
アーキヴィストたちを相手に話すので、聴衆の感触を得るのにいいかなと思って、花園大学で「情報歴史学」を教える若手の教師3名が書いた教科書をさっと目を通してみた。スタンダード化を意識したプロの記述になっていて、役に立つ部分とそうでない部分があった。特に関心があったのが、データの共有性を前提にした部分である。私が史料からデータベースを作るときには、私個人が使えることだけを目標にしており、他の医学史の研究者がそれを使えることは最初から想定に入っていないし、他のデータベースと共同のシステムの中に入ることも考えて作っていない。たとえば、数年前に近代日本の死因や流行病のデータベースを作ってウェブ上にアップしたときでさえ、データの共有性については無造作に考えてしまった。いま研究している精神病院も、そのデータが将来に共有されるためのフォーマットの見込みは何も考えていない。個人的な情報力の充実に基づいて、個人の研究者が自分の形式でデータを作って研究して個人の名前で論文を書いて鼻の下を伸ばしているという構造になっている。それではもう難しいのだろうなとひしひしと思う。
アーキヴィストたちを相手に話すので、聴衆の感触を得るのにいいかなと思って、花園大学で「情報歴史学」を教える若手の教師3名が書いた教科書をさっと目を通してみた。スタンダード化を意識したプロの記述になっていて、役に立つ部分とそうでない部分があった。特に関心があったのが、データの共有性を前提にした部分である。私が史料からデータベースを作るときには、私個人が使えることだけを目標にしており、他の医学史の研究者がそれを使えることは最初から想定に入っていないし、他のデータベースと共同のシステムの中に入ることも考えて作っていない。たとえば、数年前に近代日本の死因や流行病のデータベースを作ってウェブ上にアップしたときでさえ、データの共有性については無造作に考えてしまった。いま研究している精神病院も、そのデータが将来に共有されるためのフォーマットの見込みは何も考えていない。個人的な情報力の充実に基づいて、個人の研究者が自分の形式でデータを作って研究して個人の名前で論文を書いて鼻の下を伸ばしているという構造になっている。それではもう難しいのだろうなとひしひしと思う。