杉原薫「熱帯生存圏の歴史的射程」杉原薫・脇村孝平・藤田幸一・田辺明生編『歴史のなかの熱帯生存圏―温帯パラダイムを超えて』(京都:京都大学出版会、2012), 1-28;脇村孝平「人類史における生存基盤と熱帯―湿潤地帯・半乾燥地帯・乾燥亜熱帯」杉原薫・脇村孝平・藤田幸一・田辺明生編『歴史のなかの熱帯生存圏―温帯パラダイムを超えて』(京都:京都大学出版会、2012), 53-78; 斎藤修「人類史における最初の人口転換―新石器革命の古人口学」杉原薫・脇村孝平・藤田幸一・田辺明生編『歴史のなかの熱帯生存圏―温帯パラダイムを超えて』(京都:京都大学出版会、2012), 79-107.
いただいた書物のうち感染症にかかわる部分を読む。書物全体の主題としては、文明や歴史の捉え方の変化にかかわるもので、この30年ほどのあいだに歴史学一般の中で一つの柱になった、人間社会や文明を自然に対抗して何かを作り上げるものと捉えずに、自然環境の中で生じるが自然そのものからは逸脱していくものと捉える発想に基づいている。環境史というのかもしれないし、生物的歴史学という人たちもいる。その手法を用いて文明を捉えなおす論文を集めた書物で、経済史の先生方が主力になっているから、面白い文明史になっている。医学史の研究者にとっては、脇村・斎藤の二つの論文は必読だと思う。
二つのメモ。一つは「ジャングル」という言葉の語源のトリヴィアも含むから覚えやすい。湿潤地と乾燥地では感染症の負荷が違う、マクニールの言葉を使うと「ミクロ寄生」の程度が異なる。湿潤地は生物が多様に繁茂するということは疾病や感染症についてもあてはまり、湿潤地では病気やその媒介者も多いのに対し、乾燥地では感染症が少ない。歴史的にいっても、インドとその周辺において、感染症は砂漠のような乾燥地を避けて伝播・分布していた。19世紀のコレラもそうであったし、マラリアもそのように分布していた。そこで「ジャングル」だが、その語源はサンスクリット語の「ジャンカラ」という語である。これはジャングルという語が持つ熱帯雨林のイメージとは全く正反対の意味を持ち、乾燥した土地という意味であった。湿地・沼地はアヌーパという。ジャンカラはまばらに灌木が生えた平坦な乾燥地で、アヌーパはガンジス川下流のベンガルなどを想像すればいい。両者の感染症の負荷の違いは人々はもちろん知っており、ジャンガラは健康でアヌーパは不健康という意味合いが付与されていた。
もう一つは斎藤先生の人口転換についての優れた解説論文である。「人口転換」というと、これまでは19世紀から20世紀にかけて起きた現象で、多産多死型の社会から少産少死型の社会に移行したことを言っていたが、近年、それに先立つもう一つの人口転換があったという議論が定着しており、その議論をまとめた論文である。農耕が始まる前の旧石器時代の人口や平均寿命などを測るのは私には想像がつかないくらい大変なことだと思うけれども、世界の多くの地域の多くの遺跡からのデータを総合すると、農耕開始の少し前から人口の減少が始まったが、農耕開始の直後から人口は劇的に増大したこと、一方で、平均寿命(ゼロ歳時平均余命)としては、旧石器時代には20代の後半から30歳くらいであったのが、農耕開始後は20代の前半くらいから25歳くらいに低下したことがいえる。それまでの中産中死の狩猟採集社会から、農耕による革命は、多産多死でトータルとしては増えていくけれども、死亡率が高い社会を生み出したことになる。俗受けする言い方をすると、繁栄と殺伐が背中合わせの社会ということである。これは、レヴィ=ストロースの「熱い社会」の特徴じゃないか。