Needles, William, “The Successful neurotic Soldier”, The Bulletin of the U.S. Army Medical Department, vol.4, no.6(1945), 673-682.
米軍のヨーロッパ戦線を中心に活躍してきた軍医が記した精神医学的な理由によるスクリーニングについての論考。この論考は、スクリーニングがうまくいかないこと、心理テスト的なものを行えば不適格になりそうな個人であっても、兵士として神経症を起こさない事例もあることを論じている。
米軍のヨーロッパ戦線を中心に活躍してきた軍医が記した精神医学的な理由によるスクリーニングについての論考。この論考は、スクリーニングがうまくいかないこと、心理テスト的なものを行えば不適格になりそうな個人であっても、兵士として神経症を起こさない事例もあることを論じている。
戦争における精神疾患は、軍の経済合理性を著しく損なう。一年間の訓練をしてきた兵士を前線に投入した途端に三日で精神疾患を起こして後方に帰還させるというのは、資源の有効利用が絶対的な命題であった総力戦においては、まさに壮大な無駄使いであった。そのため、その兵士が戦争において健全な精神を保てるかどうか、兵役前のスクリーニングによって区別するべきであるという議論が現れた。これは、精神医学にとって大きな問題であった。疫学的な検査の実行可能性が問題になり、ひいては、精神医学の洞察を社会と人口に適用することができる可能性にかかわる問題であるからである。そのため、前線で精神的に健康であった兵士とそうでなかった兵士を較べて、精神的な特徴の分析を通じて適性と非適性を分けようという議論がされた。私はまだ読んでいないが、いくつかの重要な論文が出版されている。この論文は、その経歴をみるといかにも前線で失敗しそうであるが、それを切りぬけた兵士を集めて、彼らを紹介するという面白い企画である。父親は酔っ払いで家族に暴力を振るい、内気で女の子をダンスに誘うことができず、本人も仕事などがずっとうまくいかなかったが、意志によってそれを乗り越えた例などが語られている。
ここでは、子供時代の父親への従属や畏怖や恐怖と、軍における規律の関係との連関が語られている。敗戦後しばらくして日本の精神科医たちは、戦争神経症を軍における権威の問題と関連つけて、軍との距離を作り上げることに夢中になったけれども、これは同時に、アメリカ流の解釈への意図されない接近でもあったことに気づいて、少しがっかりする。