岩波書店のツィッターに乗せられて、新年に南方熊楠の『十二支考』のその年の項目を読むのは楽しかろうと思いついて、岩波文庫で上・下の2冊を買い求めて、「兎に関する民俗と伝説」と「田原藤太竜宮入りの話」の2章を読む。
南方熊楠はロンドンに留学し、大英博物館の研究員のような身分であった。私がロンドンに留学していた時に、『縛られた巨人』という熊楠の伝記評論を中村健二先生に送っていただいて愛読したから、私にとって個人的な思いがある著者である。
兎の話も面白いけれども、竜の話の面白さは格別で、その空を駆けるような博識を読むこと自体が正月休みの楽しみだった。兎については、それが穢れた不浄の動物とされており、その理由は、オスもメスも、それぞれ睾丸のようなものと膣のようなものをもっているように見え、メスのクリトリスは非常に長くペニスのように見えて、男女の身体差と性交の規範を逸脱している動物であると、西洋でも中国でも記されている。この穢れの意識は、兎の肉を妊婦が食うといわゆる「兎口」の子供が生まれるという、これも世界の各所に分布している説に反映されている。竜の話はそれ以上に面白く、読んでいて、知の曼陀羅の世界をジェットコースターのように経巡るような浮揚感を与えるような傑作というべきだろう。特に、淫乱な女性が欲望に身を焼かれて死に、死後の死体が500人の男と交わった後に竜と化す話は、おぞましくも蠱惑的で、固唾を飲むような思いで読んだ。
これは、『昆奈耶雑事』と『戒因縁経』に出る話で、話の主人公は妙光女とも善光女ともいう。この女性は、生まれた時には室内に明るい光が満ち溢れ、評判の美人であった。彼女に会ったある師が、この女は後に500人の男と歓愛するだろうと予言した。成長すると申し分ない美人となった。しかし、予言を恐れて、誰も彼女と結婚しなかったが、ついにある夫を得た。この夫は妻が男性に近づかないようにしていたが、あるとき家に僧を招いたとき、彼女はその僧との愛欲に燃え、欲望の炎に身の内外を焼かれ、体中から汗を流して死んだ。彼女の遺体を葬儀のために林の中を運んでいるときに、群盗に襲われた。死してなお彼女は美しく、群盗たちは死んだ女をかわるがわる犯した。その群盗の数は500人であった。妙光女は竜となって、そこに500匹の牡の竜がきて、常に彼女と通じることとなった。