石川英輔『大江戸神仙伝』
1979年に出版され、その後講談社文庫に入った作品で、主人公が過去にタイムスリップするSF。製薬会社の冴えない科学者で、脱サラして物書きになった中年男の速見洋介が主人公で、彼が文政の江戸にタイムスリップするところから話が始まる。そこで、医者の友人ができたり、深川芸者の「いな吉」に惚れたりする。物語の筋としては、江戸におけるいな吉との関係と、現代の東京での恋人で後に結婚する「流子」との関係という、二重の愛情の生活が重要なのだろう。また、これは小説というだけでなく、歴史の形をとったオピニオン表明でもあって、明治以降の近代化と戦後の高度経済成長が、うるわしい江戸をめちゃめちゃにしたとして罵倒され、マルクス主義系の進歩的な知識人が唱える価値観がことあるごとに中傷されている。時代考証はとてもしっかりしているらしい。私が習った延広先生が激賞していらした。
1979年に出版され、その後講談社文庫に入った作品で、主人公が過去にタイムスリップするSF。製薬会社の冴えない科学者で、脱サラして物書きになった中年男の速見洋介が主人公で、彼が文政の江戸にタイムスリップするところから話が始まる。そこで、医者の友人ができたり、深川芸者の「いな吉」に惚れたりする。物語の筋としては、江戸におけるいな吉との関係と、現代の東京での恋人で後に結婚する「流子」との関係という、二重の愛情の生活が重要なのだろう。また、これは小説というだけでなく、歴史の形をとったオピニオン表明でもあって、明治以降の近代化と戦後の高度経済成長が、うるわしい江戸をめちゃめちゃにしたとして罵倒され、マルクス主義系の進歩的な知識人が唱える価値観がことあるごとに中傷されている。時代考証はとてもしっかりしているらしい。私が習った延広先生が激賞していらした。
一番大切なのは(笑)、主人公が脚気を治療する薬を江戸にもたらすという部分である。友人は漢方の医者であるが、その患者が重症の脚気で死にそうになっていて、それをビタミンB1で治すことが、物語の重要な事件になっている。主人公はもともと製薬会社につとめていて、江戸にある材料と道具を使ってビタミンB1を抽出する。米ぬかと、酢と、鉄なべである。熱湯の中に米ぬかをいれると、ビタミンB1が抽出される。酢は、高温でB1が分解されることを防ぎ、鉄なべも同じ役割をはたす。この薬はもちろん著効を示し、主人公は神仙の世界から来たという名声を江戸で確立する。そのうち、過去と現在を行き来できるようになると、現代からビタミンB1の錠剤を持ち込んで、ますます江戸で成功し、そこで得た小判を現代に持ち帰って巨額の財をなす。
つまり、素晴らしい江戸の世界に対し、現代がもつ明確な優位が、優れた医学であり、その優秀性は、「効く薬」に集約されている。その薬が、主人公が持つ最強の優位である。「私の江戸での優位瀬を保証しているのは、先端技術を小出しにしていることだけである」(404)こういう考え方は、「技術帝国主義」ということができるだろう。それがSFに適用されて、もっとも鮮明に表明されている作品である。この発想は、おそらく人々に広く共有されている考えから出発しているから、私としては、学問的に対決しなければならないというか、自分の立場をきちんと語らなければならない。現代の医学と過去の医学の関係を、このように捉えることは、一面で正しいと同時に、そう考えることの貧困を、一度、きちんと論じなければならない。その脈絡で、有名な『Jin』も読んだり見たりしなければならない。小説としては感心しなかったし、オピニオンとしては違和感を持ったけれども、江戸の庶民の暮らしを知ることができたし、何よりも問題の所在の一端をひしひしと感じることができて、とても勉強になった。