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Channel: 身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌
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デューラー『梅毒の男』

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Eisler, Colin, “Who Is Duerer’s Syphilitic Man?”, Perspectives in Biology and Medicine, 52(2009), 48-60.
必要があって、デューラーの「梅毒の男」という木版画についての論文を読む。重要な発見をシンプルに語った、古典端正な論文である。

「梅毒にかかった男」は、現在ではデューラーが1496年に製作した木版画であると認められているが、デューラーの初期の作品であり、他の著名な版画の作品と比べて版画の技法が稚拙であることから、デューラーの作品と認められたのは20世紀のことであった。優れた医学史家で梅毒の歴史を研究したカール・ズードホフや、優れた美術史家のアビ・ワールブルクなどによって、デューラーのものと推定され、のちにデューラーの作品として認められた。

この作品は、「流行病報」(Pestblatt )と呼ばれているジャンルの作品で、当時流行していた疫病の画像をつけ、原因や治療法や道徳的教訓などを添えた印刷物である。(ロンドンでもペスト流行の際に作られていたし、日本においても安政のコレラなどで作られた。19世紀に現れた「麻疹絵」などの錦絵もこれにあたる)

ここに描かれている人物は、一見するとエレガントな衣装に見えるため、サンダー・ギルマンはこの絵を解釈して当時の上流階級の男性だと誤解したが、実は、Landesknechte と呼ばれた、ドイツやスイスの貧しい地方の出身の傭兵であった。この傭兵は、ゆったりとした上衣をきて、脚を露出させ、伊達な毛皮の帽子に羽飾りをつけており、デューラー自身も1495年の作品でこの傭兵を描いている。梅毒の主題に傭兵が描かれた理由は、まさしく彼らが梅毒の伝搬の主役であったからにほかならない。ヨーロッパでの最初の大きな梅毒の流行は、1495年のフランス王シャルル8世によるナポリの攻囲戦であり、この戦いや、同時期の他の戦争において用いられた傭兵たちがヨーロッパ全体に梅毒を広めた主人公であった。この「流行病報」でデューラーが描いたのは、まさしく、傭兵たちが梅毒を広めているありさまであった。

この論文は、梅毒が多様な姿を取るという点を利用して、デューラー自身が梅毒であったという議論と、デューラーが描いた苦悩の表情が梅毒の苦しみを表現したものであるという議論もしているが、この部分はなくてもいいし、仮に正しいとしてもそんなに面白くなかった。

画像はデューラー「梅毒の男」と「傭兵」

「虚談」の面白み

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幸田露伴の『武田信玄』を読んでいたら面白い言葉があったので、メモする。

古の事でも今の事でも、虚談には面白いのが多くて、おもしろいのには虚談が多い。真実の事は虚妄の談よりおもしろかるべきであるが、少なくとも虚談の製造者に瞞着されて、そしてそれを面白いとおもうような人にとっては、虚談ほど興味があって、精彩があって、気〇生動して、かつまた権威を有するところの、有り難いものはないのである。虚談の生ずるのは、訛誤もあり、誇張もあり、修飾もあり、また故意の捏造もあり、無意の演繹もあり、他を排し我を立てんとするよりも計謀的宣伝もあり、そのほか種々の原因よりして生ずるのであるが、虚談でも何でも構わないから、自分に面白いと思われるものを面白いとして嬉しがって信受する人が世間には甚だ多いからして、虚談はいつの世にも幅を利かして、ついには実際の方が却って虚談に圧せられるようになるのである。

一言でいうと、「愚かな人たちは虚談が好きで、虚談が現実を打ち負かすものだ」というペシミスティックで、社会を上から見下ろすようなエリート主義的な考え方であるはずである。ところが、ここには非生産的な悲しさや鼻につく傲慢がなく、むしろその虚談をありさまを楽しんでいるようなところすらあって、その秘密がどこにあるのかちょっと不思議である。

社会科学とフィールド・ラボ境界の問題

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Gieryn, Thomas F., “City as Truth-Spot: Laboratories and Field-Sites in Urban Studies”, Social Studies of Science, 36(2006), 5-38.
科学研究の空間性を分析するヒストリオグラフィを用いて、いわゆるシカゴ学派と呼ばれる社会学研究を研究した成果である。特に、20世紀の科学において重要であった「ラボラトリー」と「フィールド」という二つの科学研究のサイトの対比と共存というコンセプトを用いて、シカゴ学派の理論と研究では都市が「ラボラトリー」と「フィールド」の二重の役割を果たしていたという議論である。

フィールドにおける科学研究は、科学史のヒストリオグラフィの中では、実験室における科学との対比と共存の脈絡の中に位置づけるのが主流である。すなわち、信頼され権威を持つ科学的な知識を生み出す装置として、実験室とフィールドは対比的であると同時に結びつけられていた。実験室は、個々の事物や場所の特殊性は最小化し、科学者の操作性は最大化し、手続きは標準化された空間で知識を生産するのに対し、フィールドは人工化に手が加えられない、自然が作り出した生の状態を観察する空間である。しかし、フィールドが持つ個別性による「汚染」から科学知識を守るためには、自然なフィールドから得られた知識に、実験室が持つ人工性・操作性を付与するさらなる仕掛けを施さなければならない。多くの学問領域において、実験室とフィールドという二つの異質な知識生産のメカニズムが対立しながら共存しているさまが説かれている。

一方で、医学史研究においては、フィールドワークの医学、特にこの論文が取り上げるある地域における疫病調査は、実験室との対比・共存においてというより、臨床医学という形態との連関において捉えられてきた。臨床医学は個人の患者が主体として個人の医師と出会う形態の医療であるのに対し、フィールドワークの医学は、公衆衛生であり社会医学であり人口の医学であった。

『ジェイン・エア』

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映画『ジェイン・エア』を観た。学生時代にがんばって原作を通読して、私が初めて面白いと思った英語の作品だから思い出深い作品。これは原作の価値とか私の趣味とかそういう問題ではなく、小説を英語で読んで面白いと思えるほど英語ができるようになったちょうどその頃に読んだ作品だということが大きいと思う。

主演のジェイン・エアは、『アリス・イン・ワンダーランド』のミア・ワシコウスカ。ヴィクトリア時代の女性を演じるのが板についてきたのか、とても説得力があった。ロチェスターは、もともと難しい役柄で、誰がどう演じても説得力を持たせられないと思うけれども、『危険な方法』でユングを演じたマイケル・ファセベンダーはよかった。それから、フェアファックス夫人はジュディ・デンチで、彼女を崇拝している私は、いちいち納得して台詞を楽しんでいた。“Gentlemen in his station are not accustomed to marry their governess” という私が好きな台詞があるけれども、そうか、ああいう風に何気なくいうと、無邪気さと毒の双方がにじみでるんだ。 


『ジェイン・エア』

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映画『ジェイン・エア』を観た。学生時代にがんばって原作を通読して、私が初めて面白いと思った英語の作品だから思い出深い作品。これは原作の価値とか私の趣味とかそういう問題ではなく、小説を英語で読んで面白いと思えるほど英語ができるようになったちょうどその頃に読んだ作品だということが大きいと思う。

主演のジェイン・エアは、『アリス・イン・ワンダーランド』のミア・ワシコウスカ。ヴィクトリア時代の女性を演じるのが板についてきたのか、とても説得力があった。ロチェスターは、もともと難しい役柄で、誰がどう演じても説得力を持たせられないと思うけれども、『危険な方法』でユングを演じたマイケル・ファセベンダーはよかった。それから、フェアファックス夫人はジュディ・デンチで、彼女を崇拝している私は、いちいち納得して台詞を楽しんでいた。“Gentlemen in his station are not accustomed to marry their governess” という私が好きな台詞があるけれども、そうか、ああいう風に何気なくいうと、無邪気さと毒の双方がにじみでるんだ。 


芥川龍之介『或阿呆の一生』「路上」

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芥川龍之介『或阿呆の一生』「路上」
昭和2年に発表された芥川『或阿呆の一生』に、芥川が精神病院を訪問した記憶の断片を焼き付けたような一文がある。狂人たちはみな鼠色の着物を着ていて、そのために部屋はいっそう憂鬱になっている。一人はオルガンに向かって熱心に讃美歌を弾き、一人は部屋の真ん中で跳び跳ねるように踊っている。彼らは特有の臭いがし、精神を病んで死んだ芥川の母親の臭いと同じであった。彼の友人の医者が、大きな硝子の壺に浸かった脳髄の標本を見せて、この男は電燈会社の技師で、自分が黒光りのする大きなダイナモだと思っていたという話をした。医者から目をさけるようにガラス窓の外を眺めると、そこには空き瓶の破片を受けた煉瓦塀があった。
この精神病院訪問の主題は、芥川の別の作品にもでているとのこと。その作品は、「路上」というもので、この作品を読むのは初めて。1919年の6月30日から8月8日にわたって「大阪毎日新聞」に連載された小説である。連載が終えられたときには前篇の完了とされ、後篇の登場が予告されていたが、芥川自身はこの作品を失敗だと思っており、後篇は発表されることはなかったし、作品「路上」も単行本化されることはなかった。
主人公とその女性の友人が精神病院を訪問するエピソードが全体の中核にある。主人公は俊助という東大の大学生であり、女性の友人は初子といい、トルストイに陶酔して小説を書いているが、小説の主人公の女性が最後は精神病院(「癲狂院」)で絶命するので、一度精神病院をみておきたいと願っている。主人公の俊助は、友人の医者に頼んで、彼の勤める精神病院を、初子ともう一人の女性の友人である辰子とともに訪れる。医学士の新田は、俊助と二人の女性に、正気と狂気の境界線ははっきりしていないこと、とりわけ天才と狂人の間には全然差別がないこと、これはロンブローゾも指摘していると説明する。そして、ニーチェやボードレールなど、精神病にかかった文学者の説明もする。それから、患者をそれぞれの部屋に訪問する。失恋のために発狂した束髪の令嬢が一人部屋でオルガンをひき、冷水治療の装置があり、患者が20人もいる大部屋にもいく。
小説家が作品の素材を得るために精神病院を訪問するのは、もちろん現実にも存在したことで、イングランドではブロンテやディケンズの名前がすぐ上がる。

日中戦争・太平洋戦争と神経質

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和田小夜子「支那事変及び太平洋戦争を含む最近10ヶ年間に於ける神経質患者の消長」『精神神経学雑誌』49(1947), no.12, 50-53.
<戦争は、国民の精神を健康にしているという議論も存在した。たとえば、1944年に執筆された論文では、東大の精神科外来の統計を取った精神病医は、日中戦争・太平洋戦争によって、国民の精神に積極的な緊張がもたらされ、個人主義的・自由主義的な傾向が抑えられるので、神経質・神経衰弱といった、積極的な意志の欠落に原因を持つ精神疾患・症候群は減少したと報告した。この減少は、戦争が作り出した心理構造であると論じられた。すなわち、昭和12年の事変勃発以前に存在した虚構的な華やかさや個人主義的な傾向は、国民に神経質系の疾患や愁訴を作り出していたのに対し、事変と太平洋戦争は、それとは違った、集団的な目的に邁進する心理構成を作り出したから、神経質系は克服されたと分析されている>

日中戦争・太平洋戦争が国民の精神にいかなる影響を与えたのかを論じた精神医学的論考の一つ。これは戦闘員の精神状態ではなく、非戦闘員の精神状態を論じたもの。統計的な手法を用いており、データは東大精神科外来の新来患者のうちで「神経質」と診断された患者の数である。なお、出版は1947年だが論文受理は昭和19年8月20日で、統計データは昭和19年3月末日までのものを用いているから、昭和19年の春から夏にかけて執筆された論文である。

ビアードの「神経衰弱」に起源をもつ症候群は、体質性神経衰弱、神経衰弱性反応、神経質など、さまざまな名称で呼ばれている。その原因論も各種あったが、肉体的・精神的過労のうえに、事態を好転せしめようとする積極的意志の貧困、希望の喪失、目的の不安定などの心的状況が主要な誘因となっていることは一般に認められている。それならば、事変・太平洋戦争を経験した時代によって、国民の神経質性疾患への罹患はどのように影響されたのだろうか?特に、その前の時代が、「華やかな仮面の裏で、入学難、就職難、生活難などにあえぎ、また一般的思想的風潮が統一されていなかった時代」であり、戦争がはじまってから、「不自由で困難ではあるが、一つの目標に向かって努力するよう指導された時代」であることを考えると、この時勢の変化は、神経質の罹患に大きな影響を及ぼすはずではなかろうか。

この前提のもとに東大外来のデータを観ると、結論を言うと、事変・戦争が始まると、たしかに神経質患者は減少している。昭和11年度には434人もいた神経質・神経衰弱の男子患者が、12年度以降は激減して、昭和18年度には234人になっている。これは戦争によって、アット・リスクの青壮年層が減少したことも多少の貢献はしているが、女子でも減少しているし、年齢階層別の分析などをすると、たしかに、戦争が神経質患者を減少させている。この原因は、戦争によって「緊張した心持」が国民の間に作り出されたことである。非常時・国家の岐路といった指導精神は、国民各自の胸底に多少は存在した自由主義的な個人主義に掣肘をくわえて、強い国民的な決意が促された。この心理状態は、神経質・神経衰弱の発病を押さえる機制をもつ。さらに、軍需産業への動員は、多少の苦痛に対して診察を求めることを断念し、あるいは我慢し、あるいは乗り越えることを可能にした。神経質・神経衰弱は、心理構成によって増悪・軽快のいずれにも変化するのであるから、戦時中の減少は、やはり国民の精神の積極的緊張、「必死の精神的な心構」が大きな役割をしめたのであろう。

「阿片を用いた日本の中国侵略」

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倉橋正直「阿片を用いた日本の中国侵略」『15年戦争と日本の医学医療研究会会報』7巻1号(2007年2月), 1-9.
戦前日本の麻薬政策は、これまでの研究が明らかにした範囲では、国家ぐるみで国際条約に違反して麻薬を輸出して経済的な利益を上げていた可能性が非常に高い、そのメカニズムが明らかにされなければならない問題である。日本の手を経て輸出された麻薬による中毒患者が多かったのは中国とインドであり、中国の歴史学者は20世紀前半の日本の政策を「第三次阿片戦争」と呼んでいる。この論文の著者は、日本による中国への阿片系の薬物の輸出は、19世紀イギリスの阿片政策よりも大規模で悪質なものだとしている。ポイントは、日本は世界第一の阿片生産国となり、領事裁判権を利用してモルヒネ密売人を免罪し、満州ではアヘンを専売にしたということである。歴史記述のスタイルは、典型的な糾弾型のもので、日本を糾弾する言辞がパラグラフごとに登場するという、私には違和感があるものである。その糾弾の中で、阿片への依存や中毒の意味などの重要な問題が見失われていく。しかし、この論文が取り上げている問題が非常に重要なものであることは疑いなく、著者は先駆的な研究者として、高い評価が与えられるだろう。それと並行して、より洗練された方法論と問題意識を持った歴史学者によってヴァージョンアップされた歴史記述になることが、この問題が広く知られて共有されるために必要だと私は信じている。

日本の戦争と精神医学

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岡田靖雄「空襲時精神病―植松七九郎・鹽入圓祐の資料から―」『15年戦争と日本の医学医療研究会会報』10(2010), no.2, 10-14.
著者は日本の精神医療史研究の第一人者で、その緻密な資料収集と広く細かい知識で精神医学史の発展に大いに貢献してきた。その業績は抜群なのだが、ご自身の私的な精神医学史の資料館を「青柿舎」と名付けておられることが象徴するように、幾らかの孤介さが感じられる人柄でもあり、関係者の全てに敬愛されているわけではない。それにもかかわらず、重要な文献を探しだしては紹介してきた一連の岡田の仕事がなかったとしたら、現在の日本の精神医療史研究は信じられないほど貧しいものになっていただろう。

この論文は、戦争と精神医学の主題のうち、特に空襲時の精神病を論じた植松・鹽入の貴重な手稿資料をまとめたものである。慶應大学神経科の教授であった植松が調査したもので、空襲が直接原因として作用したと思われる、心因反応のものを17症例あつめている。これは、1944年11月から45年8月まで、慶應神経科の外来、桜ヶ丘保養院、松沢病院、井の頭病院、東京武蔵野病院などで診療された患者である。岡田論文は、この17の症例を、患者の精神状態や症状に応じて、妄想錯乱状態、心因性混迷、心因性抑鬱、朦朧状態、ヒステリー、睡眠状態、徘徊などにわけて紹介している。爆弾の至近弾を経験したのち、サイレンがならぬのに「空襲空襲」と叫んでは、入院後には「天皇陛下」をくりかえす工員や、夫が帰ってきた直後に空襲に遭い、夫に電報を打ったので憲兵につかまって死刑になるとの念慮を持つようになったものなどがいる。
日本精神神経学会は1944年、1945年の大会を中止したので、戦争の影響が精神医学者によって本格的に論じられたのは、1946年の6月に開催された大会となるが、この大会では合計42の演題があり、その中の11題は戦争に直接関係があるものであった。1) 内村祐之の原子爆弾による脳髄の病変、2) 植松七九郎の空襲時精神病、3) 国立国府台病院の諏訪敬三郎の今次戦争間の精神医学的経験、4) 防空壕内の窒息後に発生する精神病、5) 九大の武谷による原子爆弾患者脳髄の病理学的分析、6) 小林八郎のコロル島高射砲陣地における神経症の発生、7) 神経症と知能検査の敬虔、8) 壮丁12万人対する知能検査、9) 戦災浮浪者の精神医学的調査、10) 在郷頭部外傷者の検診報告、11) 産業能率への精神医学の応用。
 これを一覧しただけで、欧米で行われているいわゆる「戦争と精神医学」のヒストリオグラフィとは違う問題が浮かび上がることが分かるだろう。第一次世界大戦の欧米で俄然現れた「精神医学と戦争」は、場所は塹壕戦であり、患者は兵士であった。それに対し、太平洋戦争末期の日本においては、戦場の兵士の精神疾患の問題も存在したが、少なくとも同じくらい重要であったのが、市街地における非戦闘員の精神疾患であった。それは原子爆弾が脳に与えた影響であり、空襲の影響であり、戦災浮浪の影響であり、産業動員の能率の問題であった。

シンガー/アンガーウッド『医学の歴史』

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チャールズ・シンガー、E.A. アンダーウッド『医学の歴史』酒井シヅ・深瀬泰旦訳、全4巻(東京:朝倉書店、1985-6)
古代エジプトから20世紀半ばまでの医学史の通史である。日本語の書物としては、川喜田愛郎『近代医学の史的基盤』と並んで、私たちが標準的に備えていなければならないとされているが、実は、私はこの本は持っていなかった。何回か見た時に、あまりいい印象を持たなかったからである。しかし、先日、参照する機会があって、すぐにこれは手元において常に参照しなければならない書物だと気がついた。これまでの不明を恥じる。

理由は簡単で、ロイ・ポーターの The Greatest Benefit to Mankind の欠点、特に20世紀における記述の欠点を補ってくれるからである。言うまでもないことだが、ポーターの書物は、医学史の通史としては抜群に傑出していて、これをしのぐ書物が近い将来に現れることはないだろうし、この本を手元においていつも参照していない医学史の研究者はいないだろう。しかし、20世紀の医学のテクニカルな部分についての記述を、あと少し情熱をこめて書くべきだったと思う。<情熱>というのは妙な言葉だが、たとえば、川喜田の書物が、19世紀の医学の理論的な内容について語るときには、そこにあるのは<情熱>としか呼ぶことができない何かである。ポーターの記述は、テクニカルな内容を押さえたうえで、その臨床・文化・社会における意味を論じる記述に重心がかかるというスタイルになっている。テクニカルな部分の記述は、間違っていないのだろうが、時々それが軽すぎると感じることがあり、彼の記述の<情熱>は、文化・社会について論じる部分にある。私はもちろんその立場に共鳴するが、しかし、情熱をこめて短いけれども的確に語られたテクニカルな部分についての記述がほしいことも多い。

シンガー/アンダーウッドは、20世紀について、ポーターのこの欠陥を補ってくれることは確かである。そのテクニカルな記述は<情熱>とともに語られ、ポーターの本が持っていない適切さを持っている。現代の医学史の歴史記述からみて不満な点は多くあるが、医学史の研究者は医学のテクニカルな問題について必要な知識を持たなければならないという事実は変わらない。

木下是雄『理科系の作文技術』

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木下是雄『理科系の作文技術』(東京:中公新書、1981)
かつての「文章読本」は美しい文章を書くお手本であり、その書き手はしばしば著名な文学者であったのに対し、近年では、自然科学系・社会科学系の学者が「文章の技法」を指南する例が増えてきている。この書物は、そういう潮流を作り出した書物の一つだろう。この書物は、自然科学者が書いた理科系向けの「作文技術」で、30年以上の人気がある。英語の論文術をもとに書きすすめられている部分が多く、学生やポスドクに英語の論文を書く指導をするときには、とても便利である。4章のパラグラフ論、5章の文の構造論(「逆茂木型の文章を書くな」)などをPDFにして、学生にはいつでも配れるようにしておいた。また、私自身も、英語でも日本語でも、文章技法は言うまでもなく、安定した作文技術を身につけていないので、とてもためになった。

『家計簿からみた近代日本生活史』

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中村隆英『家計簿からみた近代日本生活史』(東京:東京大学出版会、1993)

家計簿というものは、私自身の家ではつけていないけれども、私の母親はつけていた。年末の婦人雑誌(たぶん『主婦の友』だと思う)の付録で、母親がいつも読んでいる婦人雑誌とは違った外見のけばけばしい雑誌が一年に一号だけ家に現れることになった。所々に短歌が書き込まれていたと思う。写真を貼ったアルバムが一つの世帯の表向きの顔だとしたら、家計簿というのはその顔のうしろにある骨格や支えのようなもので、とても大切な資料である。この書物は、著名な経済史の学者がお茶の水大学の家政科に移動した先の仕事である。明治から高度成長期以降までの期間について、比較的長期にわたる分析ができる家計簿を25の世帯分集めて、それぞれの世帯について収入や支出などを分析したものである。医療費は保健衛生などの枠組みに入っていて、収入や支出なども分かるから、きちんと分析できれば何か意味があるデータが出てくるだろう。

国際衛生とウィーン会議体制

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Harrison, Mark, “Disease, Diplomacy, and International Commerce: The Origins of International Sanitary Regulation in the Nineteenth Century”, Journal of Global History, 1(2006), 197-217.
オクスフォードのウェルカム・ユニットの所長であるマーク・ハリソンによる国際的な検疫をめぐる意見の歴史。詳細なアーカイヴ・リサーチに基づく研究ではなくて、長期のタイムスパンでの鳥瞰的な視点をもつ研究で、16世紀のイタリアの検疫から19世紀末までを一つの論文で扱っている。基本的な視点は、1815年のウィーン会議を、外交全般の分野における転換点とみて、複数の国家による話し合いと合意というモデルが導入されたこと、1851年以降の検疫をめぐる議論は、この新しい外交モデルが、ある領域に特化して展開したものと考えることができること、イギリスはたしかに世界の商業の核であったが、国際的な衛生の議論にはより複雑な国際関係が含まれており、エジプトやロシアなど、ヨーロッパとアジアをつなぐ位置にある国家の外交的な関係が重要な役割を果たしていたことなどが論じられている。

ブラウン『アウグスティヌス伝』

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ピーター・ブラウン『アウグスティヌス伝』上・下、出村和彦訳(東京:教文館、2004)
The Body and Society の著者であるピーター・ブラウンは私のヒーローの一人である。この書物は、<学識と明晰さと深さの融合>という学問の理想をポスドク時代の私に鮮明に教えてくれた貴重な書物で、フーコー、ポーター、ホブズボームらと並んで、私の本棚の「愛読書」コーナーに並べてある。実は、そのブラウンがアウグスティヌス伝を書いていてしかも翻訳されていることを最近知ったので、あわてて借りて読んでみた。ブラウンがオール・ソウルズのフェローであった1966年に第一版が書かれ、2000年くらいに第二版が出版されて、年老いた大家が若いころの自分を振り返る序文も付されている。日本語でもその魅力は現れているが、読み始めてすぐにこれは英語の原文を買うべきだと気が付いた。アウグスティヌスも私のヒーローの一人だから、この本の原書も買うことにした。

全体主義下の精神医学

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1943年7月1日に、神田区一ツ橋学士会館で、精神厚生会の発会式が挙行された。(精神病者)救治会、精神衛生会、精神病院協会の三協会が発展解消的に合同して作られたものである。小泉厚生大臣をはじめ、政界・医界の名士が200名近く出席し、精神医学の重要性が強調された。一連の祝辞のあと、内村祐之が「時局下における精神医学の任務」と題する講演を行った。全体主義下の精神医学といったときに、これが内村が主として考えていたことだとみなしていいと思う。内村祐之「雑報」『精神神経学雑誌』47(1943), 527.に要約が掲載されている。

内村講演は、当時の日本医学の改革を精神医学につなげ、精神医学の改革を唱えるものであった。個人診療中心の体制から、公医として医師が新しい任務に目覚めた現在、精神医学も新しい精神医学にならねばならない。精神医学も結核問題と工場衛生に進出してきた。今日の国民の士気は健全であり、国民の神経衰弱は現象している。文明の進歩により、航空機がもたらした高度への馴化、南方進出がもたらした熱帯気候馴化などの淘汰が必要になり、これには健康な精神力が必要とされている。産業の合理化にも精神医学は参加するべきであり、低能者には低能者でも可能な適当な職業を選ぶこと、産業衛生でも労務者の欠勤の原因などを調査して錬成指導して、生産能率を高めることを目指すべきである。

心理構成、馴化と適合のための精神力、職業適性の判定と合理的な配置、生産能率など。それぞれ「人口にとっての精神医学」という主題の中で重要である。(結核云々がよくわからないけれども。)そして、たぶん、このブログの読者はすでに気がついていると思うけれども、ここに優生学的断種がないということは、日本の精神医学と優生学的断種の議論をするときに、心に留めておくべきことである。

アラン・ヤング先生・ジュゼッペ・スクリッパ先生集中講義

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8月27日-9月4日に、慶應義塾大学三田キャンパスで、ヤング,アラン先生(McGill大学)/スクリッパ,ジュセッペ先生(Univ.di Roma)の集中講義が開催されます
医療人類学、宗教人類学

場所:慶大・三田校舎=2B11教室
日時:
8月27日(月) 2時限・3時限
8月28日(火) 1時限・2時限
8月29日(水) 1時限・   15時から、ヤング先生を囲む小規模シンポ(18時まで、東館6F)
8月30日(木) 1時限・2時限  およびDiscussion session(13時から、60分)
以上、場所: 慶大・三田校舎=2B11教室

Professor Allan Young

Aug. 27, 2 lectures, from 10:45 to 12:15 and from 13:00 to 14:30

29 August: one lecture, 9.00 to 10.30
15.00 Beyond etc

Aug. 28, Tuesday 2 lectures starting from 9 am to 10:30 and from 10:45 to 12:15

30 August: 2 lectures plus a one hour discussion session
9 to 10.30
10.45 to 12.15
13.00 to 14.00

Place: Room 2B11 at Keio University, Mita Campus



以下は、Schirippa先生(宗教/医療人類学)の講義予定です
8月31日(金) 3時限・4時限
9月 3日(月) 3時限・4時限・5時限
9月 4日(火) 3時限・4時限・5時限 (16時30分より、特別講義の形式Colonial Medicine のセミナー講義を行う予定))
場所:慶大・三田校舎=2B11教室

アラン・ヤング先生集中講義詳細

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来週から、アラン・ヤング先生が慶應に集中講義でいらっしゃいます。日本で講演される機会は、なかなかな いと思いますので、ご関心のある方は、どうぞいらしてください。尚、水曜にはシンポジウムも開催されますので、よろしくお願いしま す。

Allan Young's lecture schedule

日時: 1限9:00 2限 10:45 3限 13:00 開始
8月27日(月)
2時限・3時限
8月28日(火)
1時限・2時限
8月29日(水)
1時限・2時限
8月30日(木)
1時限・2時限 
(10時45分より試験1(60分))
場所:慶應大学三田キャンパス 南館 2B11 教室


August 27

LECTURE 1
Four stages in the historical development of medical anthropology
Medicine = an aspect of magic, religion, witchcraft
Indigenous medicine = an object of ethnographic inquiry
Clinical biomedicine = an object of ethnographic inquiry
Biomedical science = an object of ethnographic inquiry
Disease, illness, sickness, syndrome
Infection, contagion; self-limited, remission, recurrent, progressive
Etiology, pathogenesis, sequelae, impairment
Efficacy: cure, ameliorate, palliate, healing
The placebo effect
The looping effect

LECTURE 2
Internalizing and externalizing medical traditions – a continuum
Externalizing traditions: etiology and moral narratives; the mute body
Internalizing traditions: pathophysiology, the meaningful body
Are indigenous medical traditions empirical?
Sources of success self-limiting diseases and symptoms, etiological errors, nosological confusions
Do indigenous medical traditions evolve?
Two meanings of “empirical” in biomedicine


28 AUGUST

LECTURE 3
What makes biomedicine special?
The concept of disease contrasted with holism
The professionalization of medicine: regulation, authority, power
Medical science as an institution: standardization, experimentation, attitude to error, record-keeping
The medicalization of normality
Epidemic obesity, pharma-driven sickness, manufacturing uncertainty

LECTURE 4
Psychiatry today
International Classification of Diseases (ICD)
Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (DSM)
Prelude to the DSM-III (1980) revolution: pharmacology and epidemiology
The rise of psychiatric epidemiology:
Specificity and sensitivity (false negatives vs. false positives)
Reliability: test-retest, inter-rater
Morbidity and co-morbidity
Psychiatry in the future
Genetics, epigenetics, and neuroscience


29 AUGUST

LECTURE 5
Psychiatry / culture

Culture and psychiatry ‘culture’ = other cultures

idioms of distress, culture-bound syndromes

Culture in psychiatry ‘culture’ = Western culture: anorexia nervosa?

Culture of psychiatry ‘culture’ = taken for granted knowledge

Transcultural psychiatry


Culture specific syndromes; the anthropology of emotion; the anthropology of psychiatry and psychiatric science
Body, mind, and pathology
The somatization thesis (Leff); conversion disorders (psychoanalysis); somatoform disorders (DSM-III onward); fibromyalgia and chronic fatigue syndrome
Stress


LECTURE 6
Posttraumatic stress disorder (PTSD)
The memory logic of Freud’s traumatic neurosis
How PTSD entered DSM-III
The Heterogeneity Thesis


2012年度関東地区研究懇談会 第1回
「文化と 医療研究からみた現代人類学における『比較』の方法と実践」

日時: 2012年8月29日(水) 15:00~18:00

場所:  慶應義塾大学・三田校舎・東館6F GsecLabo室

共催:  「科学技術の民族誌研究グループ」

プログラ ム: 

15:00~15:05 開催趣旨説明:

モハー チ・ゲルゲイ(慶應義塾大学)

15:05~16:05講演:

Allan Young (マッギル大学),
"Beyond the Horizon: An Inquiry into the Outermost Reaches of the
Anthropological Gaze and the Comparative Method"

16:20~17:20 円卓討議:

Pino Schirippa(ローマ大学)、北中淳子(慶應義塾大学)、
浜田明範 (日本学術振興会特別研究員(PD))

司会:  モハーチ・ゲルゲイ(慶應義塾大学)

17:30~18:00 フロア質疑および総合討論:

司会:  宮坂敬造(慶應義塾大学)

鈴木秀子「貴重書紹介 アンドレアス・ヴェサリウス『人体の構造についての七つの書』」

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鈴木秀子「貴重書紹介 アンドレアス・ヴェサリウス『人体の構造についての七つの書』--1543年,バーゼル,オポリヌス書店刊 (蔵書の玉手箱)」『図書の譜』(4), 90-118,図巻頭2枚, 2000-03.
明治大学図書館がヴェサリウス『人体構造論』の初版を所蔵しており、その司書が執筆したヴェサリウス論である。もちろん、二次文献をまとめたものにすぎないが、読みやすく正確で、しかもネット上に全文が掲載されているから、ヴェサリウスについての「隠れた人気文献」になるのだろう。
http://www.lib.meiji.ac.jp/about/publication/toshonofu/suzukiA01.pdf

小川正子『小島の春』

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小川正子『小島の春』(東京:長崎書房、1938)
小川正子は、東京女子医専を卒業し、ハンセン病患者の収容施設である長島愛生園に奉職した女性医師である。彼女の仕事の一つに、いまだ収容施設に入所しないまま生活している患者の村を訪ねて愛生園への入所を説得するということがあった。そのために、ハンセン病は人々が考えているような家に遺伝する病気ではなく周囲の人に感染する感染症であるのだというメッセージ、愛生園は人々が想像するような恐ろしい惨めな場所ではなく素晴らしい場所なのだというメッセージを伝えて回る必要があった。このためには、もちろん彼女自身の個人的な熱誠も重要だったが、愛生園などはフィルムを作成し、そのフィルムを上映して回るのが重要な宣伝方法であった。特に、彼女が訪れたのは、僻地の山村や島嶼が多く、場合によっては「癩部落」と呼ばれて周囲から孤立していたり、あるいは山奥で孤立的な生活をする家族であることが多かった。おそらく、疫学的な事情と社会的な事情の双方が絡み合って、僻地・周縁地にハンセン病患者が分布するという状況が作り出されており、そこに働きかけて収容院に入れることが彼女の使命であった。

このように、未開地を訪れる文明の福音の伝道師と同類の仕事をしている一方で、村の有力者や分限者の家に患者が出た時にも、その処置について相談にあずかって入所を勧めるという、おそらく正反対の性格の仕事もしていることも重要である。

彼女が訪れる村は、電気が十分に引かれていないことが多く、一番人気のフィルムの上映は、しばしば手で映写機を廻さなければならなかった(このあたりの機械の事情がよく分からないのだけれども、それはまあいい)。フィルム上演は色々な意味で切り札であった。娘を入所させた母親の夢を描いた作品があって、この上演が人々の心に訴えることは、彼女は相当な自信を持っていた。一方で、僻地ということもあって、映画というもの自体の価値もあって、夜に及ぶ場合でも多くの子供たちが上演を楽しみにしており、内容よりも画面で人が動けばいいのだということにも彼女は気がついていた。

文章は、当時大ヒットしたことが示唆するように、確かに優れている。愛生園の出張なので、基本的にはある種の業務報告の日誌という性格を持つが、それに個人的な紀行文・短歌の性格を持たせた文章である。少し前に保健婦の業務日誌を読む機会があって、その奇妙な文体に違和感を感じたが、そうか、『小島の春』の文体なのか。これは、『小島の春』の直接的な影響の問題だけでなく、高い教育を受け、あるミッションを持った若い女性の自己成形の問題でもあり、ここに朝ドラの主人公の基本形が生まれるんだろうな(笑)

歯科衛生士の専門職化

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宝月理恵「戦後日本における歯科衛生士の専門職化―口腔医療をめぐる支配管轄権の変容から―」『保健医療社会学論集』23(2012), no.1, 85-95.
歯医者さんに行くと、診療室が小さいだけに、そこに複雑な職業と縄張りと男性・女性、上司・部下という関係を濃密に感じることがある。その歯科衛生の世界の形成を切り開いた社会学の論考である。
「気遣いを必要とする周辺労働を従属的な女性労働者(歯科助手)に負わせることで、男性専門職である歯科医師は診療所における職階制を難なく維持することができたともいえる」
「垂直的な関係ではDHは歯科医師により排除され、一方で歯科助手を排除し、水平的関係では(准)看護婦や技工士との相互的な境界画定を進めてきたといえる」
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