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Channel: 身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌
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軍規と処罰の妄想

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青木義治「環境の幻覚及び妄想に及ぼす影響」(1)-(3) 『医療』vol.5, no.1: 1951, 5-8; vol.5, no.5: 1951, 266-269; vol.5, no.8: 1951, 410-415.
国府台病院の「精神科医長」であった青木義治による論文。幻覚と妄想が、環境や社会的条件によってどのように影響されるのかを研究するという枠組みで、戦争時に分裂病となった患者を、大戦開始1年間と、終戦前1年間の二つのグループにわけて、それぞれにおいてどのような妄想や幻覚があったかということを比較する研究である。幻覚・幻聴の内容が、戦争中・戦争末期・終戦とともに鋭く変化し、戦争中は軍規への違反が主に問題であったが、敗戦記には敗戦状況を判然と示すもの、戦後は敗戦事実に直面した苦悩のもの、戦犯、軍の混乱を示すものになった。

一番面白いのは、幻覚や幻聴の内容を整理した部分である。幻視については、天皇、死亡した戦友、隊長、戦友、敵が比較的多く、両親、情人、子供、慰安婦(・・・ううむ)の幻視を示したものがある。家郷の人や両親は、軍医・看護婦とともに、入院収容後に多く、特に後者は内地帰還後に現れた。単一な爆弾破裂、火花、閃光などは極めて少ない。幻聴については、音としては銃声、爆音、敵襲、太鼓の音があり、終戦直前には空襲警報と空爆が多い。幻聴の内容は、「死ね」「割腹せよ」「死刑にする」「軍法会議にかける」などである。これらは、もちろん死と結びついているものであり、戦争は「戦争においては、最後は格闘に身をさらさなくてはならぬ」と言われているように、死を直視しなければならない状況に身をさらされる。しかし、ここでより重要なのは、軍隊集団生活の環境の批判である。軍隊は、軍規を強大な指揮の力をもって全員を絶対的に服従せしめなければならず、それに違反したものには思い罰が課される。かかる制約にしばられたものが軍隊生活である。発現の多い罪業妄想ではすべてが作戦と軍紀違反であった。これは、戦場そのものより、戦時軍規がいかに病者に心的荷重になっていたかと確かに示唆している。この罪に対する解決・逃避として、自殺と脱走が選ばれたのである。

青木の1951年の論文は、諏訪の1948年の論文と較べたときに、軍の規律の批判に視点が向かっていることが特徴である。諏訪は弱兵を徴集したことが精神病の原因なりと主張したのに対し、青木は、軍の規律がいかに厳しいか、集団生活がいかに個人の心理に負荷となっているかという視点が中心になっている。「戦後の精神医学」は、戦争中の軍の規律と処罰を病理化したということは、一つのポイントである。

『Medicine ― 医学を変えた70の発見』

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ウィリアム・バイナム、ヘレン・バイナム『Medicine - 医学を変えた70の発見』鈴木晃仁・鈴木実佳訳(東京:医学書院、2012)

内容は一般向けの医学史の書物であるが、フルカラーの大きな画像が数百枚もふんだんに使われていることに大きな特徴がある。出版社がもともと美術系の出版社である Thames & Hudson であるため、図版の入れ方や使い方も、普通の学術書とはまったく違ったセンスで作られている。古代から現代までの医学の歴史から全部で70の項目を取り、その解説が一流の研究者たちによって執筆されている。編者の一人のビル・バイナムが、ウェルカム医学史研究所の所長を長くつとめ、世界一の人的なコネクションを形成してきたこと、また1980年代から図書館のヴィジュアルなマテリアルを急速に充実させたことが、この内容・図版ともに豪華な書物を成り立たせている。医学、看護学、コメディカルの学生に、自分が進もうとしている道の歴史を目で見て実感するためにもいいし、病院の待合室に一冊おいてもさまになる。もちろん、ご自宅のコーヒーテーブルにもどうぞ。アマゾンのリンクと、目次などの画像を貼っておきます。

精神衛生実態調査(昭和29年)

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厚生省公衆衛生局精神衛生課『昭和29年度精神衛生実態調査』(1959)
昭和29年に実施された「精神衛生実態調査」が、昭和34年に出版された。少し時間がかかっているように思うが、その間に、衛生局の局長が山口正義から尾村偉久に変わったことと関係があるのかな。

優生学がそうであるように、精神病実態調査は戦争期に始められて戦後に発展・完成されたものの一つである。精神衛生実態調査は、精神疾患や精神障害に罹っているものがどのくらい存在するかを実測と推計によって調査するものであり、ある地点を調査する地域的一斉調査と、ある集団から初めて調査する穿刺法の二種類が知られていた。これはいずれも1930年代にドイツのリューディンやブルッガーらが実施したものである。日本で初めて実施されたのは1940年からの内村祐之らが行ったものである。内村たちは、八丈島、三宅島、小諸、東京の池袋という四つの地区において一斉調査を行い、それと並行して穿刺法の調査もいくつか行った。この経験を受けて、1953年から全国を対象にした実態調査の構想が語られるようになった。まずは1953年に国立精神衛生研究所で原案が作られ、1954年には精神衛生審議会が全国的な調査を行うよう答申し、2月には実態調査小委員会(会長は松沢病院の林)が方法などを議論する。まさか本当に全国の全住民を対象にして精神衛生の実態調査を行うわけにいかないから、サンプリングしなければならない。ベースになったのは国勢調査区であって、これは日本全国に37万ほどの区があり、当時ここから1/100 サンプリングで3,690 の区において行われていた厚生行政基礎調査に重ねて行うことになった。もともともっと多数の区で行いたかったらしいが、予算の関係で、合計100の区を選んで精神衛生実態調査が行われた。1954年の7月のはじめに、それぞれの区に責任を持つ保健所が基礎調査を行い、7月の中旬・下旬には専門委員が調査を行った。基礎調査においては、その地区の様子をよく知っている人物から、そこの住民で精神病ではないかと思われる人物の名前を提供してもらい(これを「聞き込み」と言っている)、専門委員は、その人物に実際に会い、またそれ以外の方法で面接をして精神病の人物を特定する。

聞き込みで名前が出たのは合計で346人。どの職業の人々の聞き込みが助けになったというと、上位からいうと、役場吏員―民生委員―地区有力者―教員―部落会長―警察官―開業医―福祉事務所になる。役場・民生委員が高く、警察官の順位が驚くほど低いのは、救貧と治安維持という二つの軸で精神医療を分類するとしたら、少なくともこの時期には救貧が前面に出ていたこと、開業医が低いのは、そもそもこれは開業医が関与する問題ではなかったことを意味するのかもしれない。

合計で355名が全国で確定された患者である。これから計算すると、商業地区・住宅地区に較べて農業地区に多いこと、世帯業種でいうと、日雇いなどの世帯の有病率は農業・中堅非農業の3倍前後も存在すること、被保護世帯は社会保険加入世帯の6倍近くになる。処遇でいうと、精神病院に入っているのが3%、在宅のまま精神病専門医や医師の治療が受けているのがあわせて6%、その他が91%である。精神病院にも入らず、精神病医にも普通の医者にも治療を受けていない91%は、宗教や加持祈祷にも頼っていない。この時期に活躍した医者たちの手記では、ごくまれに出会った宗教や加持祈祷の役割が重視して描かれているけれども、それは実態調査が描く姿ではない。調査も「民衆の考え方・態度は古典的であるとは言えない」と言っている。

『仙界異聞』

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平田篤胤『仙界異聞・勝五郎再生記聞』子安宣邦校注(東京:岩波書店、2000)
平田篤胤に『仙境異聞』という作品があることを最近知った。文政3年(1820年)、浅草観音堂に前に少年寅吉なる人物が現れ、幼い頃山人(天狗)に連れ去られ、そのもとで生活・修行していたという噂が江戸に広がった。当時から異界に強い興味を持っていた平田篤胤はこの少年を奪い去るように連れてきて、彼のサークルの学者や知識人たちの熱心な探求と質問の対象にした。彼らが矢継ぎ早に繰り出す質問に寅吉が応えるさまは読んでいてもスリルがあり、ただの天狗小僧であった寅吉が、異界から来た一人の仙童になっていく契機があちこちに感じられる。

これをさっと眺めて、寅吉が描く天人の世界にぼうっと感心しているだけだから、大それたことは言えないけれども、この記録は、日本の精神医学が近世から近代に移行するときのありさまを語る一つの柱になることは間違いない。これまでの記述では、一方には座敷牢から精神病院へという流れがあり、もう一方には精神病についての理解の変化がある。前者は比較的シンプルな話であって、座敷牢の制度が20世紀半ばまで公式に存続したので、研究でかなりのことが分かっているという実感を持っている。しかし、後者の精神医学についての変化は、複雑であると私は思っている。診断体系の大変化をまたぐ歴史研究はやはり難しく、江戸時代の病気と明治以降の診断名とのつながりが見えてこないことが大きい。

現在のところ歴史学者が研究したのは「狐憑き」についての変化を用いたストーリーである。狐憑きを事例として精神医学の近代化を語る話は、すでに概略は分かっている。兵頭晶子が水準が高い研究を発表しているし、スーザン・バーンズの優れた研究も近刊である。狐憑きを使って精神医学の近代化を論じる試みは、もうしばらく取り組まなくていいと私は思う。別の疾病が必要である。

その疾病は何かというと、これが難しい。20世紀前半の精神病院を埋め尽くした二つの病気である早発性痴呆(精神分裂病・統合失調症)と進行麻痺は、いったい江戸時代にはどこにいたのだろうか、不思議になる。「人格の崩壊」などの極端な表現が明治以降の医者たちによって使われ、あれほど人々を戦慄させた二つの病気は、江戸時代にも間違いなく存在した疾病なのに、人々は気がつかなかったのだろうか。このあたりにも複雑な問題があると思うけれども、私は今の所見通しを持っていない。

というわけで、精神医学の近代化の問いは研究設計が難しいのだけれども、大きな手掛かりが『仙境異聞』だと思う。寅吉は平田篤胤に捉えられてこの書物を残したが、かりに、明治以降の精神医学者に捉えられたらどのようになっただろうかと考えてみることができる。私は精神医学者ではないから診断はできないが、天狗の国で修業してきたと信じ、その生活を語り続けるわけだから、精神医学の範囲には絶対に入る。そして、このテキストと対置できるものが念頭にある。もとはといえばスイスで出版された書物だが、セオドール・フルールノワの『インドから火星へ』であり、それに影響された作品である。フルールノワの作品は、ソヌ・シャムダサニの解説をつけて再刊されており、<エレーヌ・スミス>を名乗る霊媒であり多重人格者が、火星やインドの風景や生活を、その世界の言語で語るという趣向の書物である。

近代化の先には霊媒が異世界に行った話、それを二重人格と考える精神医学があり、その前には『仙界異聞』があるという精神医学史を書くことができる。これをきちんとやれば、精神医学についてのもうひとつの近代化の線を調べることができる。

中世イスラムの旅行記

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Ibn Fadl?n, Ibn Fadl?n and the Land of Darkness: Arab Travellers in the Far North, translated with an introduction by Paul Lunde and Caroline Stone (London: Penguin Books, 2012)
私が知らないことはたくさんあるが、中世のイスラム世界についての知識はその中でも特に惨めなほど少なくて悲しんでいたところ、London Review of Books の広告から、中世イスラムの旅行者たちによる中央アジア附近の記述を集めて一冊にまとめた一冊ものの旅行記集を見つけてきて、少し自由な時間を取ることができたときに読んだ。

素晴らしい書物で、一語一句が、まるで乾いた砂にしみ込む水のように、心にしみ込んでいった。古代から中世の年代記や歴史や地理書には、神々と英雄と怪物と王の軍勢の匂いがしみこんでおり、この書物にもそのような記述が入っている。ウラル山脈を要害とする囲まれた土地にある国、ゴッグとマゴッグの記述、要塞の鉄の扉の記述などは、まるで『指輪物語』を読んでいるかのようである。それとならんで、旅行記にふさわしい個々の事実についての観察や個人の印象も描かれる。たとえば、ホラズムは最も野蛮な地域で、ホラズムの人々の言葉はホシガラスの鳴き声のよう、その近くのカルダーリャの人々の言葉は蛙の鳴き声のようだという記述。病気になると「穢れ」を恐れて、家族は近くに寄らずに、家の近くに小屋を建ててそこに病人を入れて、奴隷に看病をさせる記述。貴人が死んだあとに奴隷の女が一緒に殺して埋葬することになり、死んだ男の友人たちが皆その奴隷の女と性交して、「おまえの主人によろしく」と言う記述。どれも、年代記や歴史の濃厚な乳の表面に浮かんだ、薄いけれどもしっかりとした形をもっている膜のような印象を持つ。

半藤一利『日本のいちばん長い日』

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半藤一利『日本のいちばん長い日』
8月15日の終戦の詔勅のラジオ放送の前の24時間の日本政府の様子をたどったドキュメンタリーである。子供の頃にTVで放映された映画を観た記憶がある。

主役は陸軍である。陸軍は、日本の軍国主義化、中国の侵略と戦争の泥沼化、本土決戦論と一億総玉砕と、この時期の悪役のナンバーワンということになっている。この書物は、その考え自体に反対しているわけではないが、終戦前の陸軍の滅びへの道程を美しく描き出している。特に好意的に描かれているのが陸軍大臣の阿南である。もともとは本土決戦を強硬に主張していたが、ご聖断がひとたび下るや無条件降伏を受け入れ、陸軍をまとめてその終焉へと向かわせて自決したありさまは、このドキュメンタリーの中心である。反乱を試みて終戦を阻止しようとした陸軍の青年将校たちも、愚かで頑迷な軍人としてではなく、国体について思い悩んだ末の少数意見として描かれている。

ここに描かれた滅びゆく男たちの美しい絵姿は、終戦と戦後の日本にある種の威厳を与えたに違いない。そのことは多くの日本人が認めるだろうし、認めたいことである。この書物が持つ危険は、麗筆で描き出された武士たちの死の間際の威厳が、より大きな視点で見た「終戦」という現象の最も重要な部分であると誤解させることであろう。

半藤一利『ノモンハンの夏』

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半藤一利『ノモンハンの夏』
同じく半藤一利が1939年のノモンハン事件を取り上げた書物。ノモンハン事件を三つの空間的な場において描く複雑な構成を持っている。最も現場に近い関東軍と東京の「三宅坂上」の陸軍参謀本部の対立、同じく東京の陸軍と海軍・外務省の対立、そしてヨーロッパにおけるヒトラーのドイツとスターリンのソ連の権謀術数である。話は継時的に進み、三つの場を周回しながら濃密なリサーチに基づいたストーリーが展開していく。政治家や軍人の個人の判断や性格を、政治的な状況や軍備とその思想などに絡めて印象的に描く政治史で、そういったことを何も知らない私は大いに勉強した。

勉強させてもらってから言うのも妙な話だが、『日本のいちばん長い日』とは文体というか文章の匂いが全く違い、別人が書いているかのような印象を持つ。『日本のいちばん長い日』は、もともとは半藤が書き、大宅壮一の名前で出したとのことだが、そのことと関係があるのだろうか。大宅壮一の名前で出ると思うと、大宅の文体になるのかな。どちらがいいと思うかは、純粋に好き嫌いの問題になるし、愚考の戦争を終結させた陸軍の滅びの美学のほうが、傲慢な関東軍と秀才型の参謀本部たちの国境線での暴挙を描いた話に較べて、はるかに格調が高い文体になるのは当たり前である。それは、壇ノ浦の滅びと、平家の横車の話を比べて、両者の文学的優劣を問うというような無理な話になる。しかし、それを差し引いても、私は「大宅のふりをした半藤」の文体のほうが好きだな(笑)

柏木博『探偵小説の室内』

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柏木博『探偵小説の室内』(東京:白水社、2011)

気軽に読めるカルスタ系の文芸評論・推理小説論である。扱っている概念は「室内」という装置を通して、近代文明や自我などの大きな主題であるが、推理小説を同時代に関連付ける楽しさが前面に出ていて、読んで楽しい。真面目な学問的議論を期待している人はがっかりするかもしれないが(私も少しがっかりした)、そもそも、推理小説の作品の読み解きだけで近代文明や自我を正面から論じることができると思う方に責任がある。ポーや乱歩が書いた有名な作品が、まるで知らなかった作品と関連付けられて、予想していなかった絵姿が見えてくるのを楽しめばいい。ポーの『ウィリアム・ウィルソン』を論じた「自我消失の恐怖とドッペルゲンガー」は、フロイト、シャルコー、カリガリ博士と、乱歩『悪魔の紋章』『パノラマ島奇譚』を論じた「迷宮室内」は、中井久夫のポーの庭園もの論や、それに触発された中野美代子の内系図論などにつながっていく。

初期近代のプロト生権力について

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末木文美士『日本宗教史』(東京:岩波新書、2006)

日本の仏教が江戸期に「葬式仏教化」したことの反面である人口学・プロト生権力の形成について、新書からメモした。

日本でもヨーロッパでも、近世や初期近代の時代に入ると、宗教組織が人間の生死を公的に記録する性格を強めるようになる。日本においては、キリシタン禁制に端を発して作られた檀家制度がこれにあたる。すべての国民を家単位でどこかの寺院の檀家として登録し、キリシタンではないことを証明させる制度である。これにともなって、婚姻や旅行の時には、寺院が発行する寺請証文が必要であった。寺院が年に一回改定する宗門改帳は、もちろんその名が示すようにキリシタン禁制のために作られる記録であったが、人の出生・死亡・結婚・移動などを記録する、戸籍としての役割を担う行政文書となった。近世の行政は仏教と寺院・僧侶の力を借りなければ実施されなかったのであり、近世の仏教は行政や政治に屈服して人々の戸籍を管理する「葬式仏教」になったのである。

青木歳幸『小城の医学と地域医療―病をいやす―』

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青木歳幸『小城の医学と地域医療―病をいやす―』(佐賀:佐賀大学地域学歴史文化研究センター、2011)

近世の医学史の新しい標準的な教科書『江戸時代の医学』を書かれた青木先生から、編集された展覧会のカタログをいただいた。小城(おぎ)市の医療についての展覧会で展示された資料や事物の図版だけでなく、史料の復刻や解説もついた、青木先生のお仕事らしい高い水準のものである。安政6年から万延元年の「引痘方控」、馬郡元孝なる医者の戊辰戦争の従軍記、柴田花守なる神道家で若いころは医学を学んだ人物が、反欧米を唱える中で、コレラとキリスト教は同様の毒であるということを唱えた書物など、貴重な資料が復刻されている。特に、柴田の「虎狼利・?教毒予防法」は、丁寧に読まなければならない。

『海辺のカフカ』

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『海辺のカフカ』

村上春樹のノーベル賞のお祝いに読もうかと思って買った。結局ノーベル賞は取れなかったけれども、それでも楽しく読んだ。

基本的な構成は、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』にとても良く似ていて、二つのストーリーが交互に語られながら独自に進行して小説の世界が展開していく。二つのストーリーは、静的で内省的な世界と、動的でコメディ性がある世界の二つであり、登場人物も、彼らの人柄も、記述のトーンも対照的で、二つの別の小説を読んでいるかのような印象を抱かせる。静的な世界のほうは、主人公が家出した15歳の少年ということで、やはり15歳の少年としての世界が重要になり、重要な人間関係は父親や母親などの家族とその記憶であり、生硬と言ってもいい理論性が濃厚で、セックスのほとんどは夢精である。それに対して動的なほうは、「頭が弱いナカタさん」を中心に、ナカタさんを東名高速の富士川サービスエリアで拾ったトラック運転手のホシノちゃんや、ホシノちゃんに女を紹介するカーネル・サンダースなど、鮮明で楽しいキャラクターが登場して大活劇をする。私が知っている作家で言うとディケンズの小説を思わせるし、台詞回しも楽しくて、カーネル・サンダースの「お前、学校に行ったのか」という台詞は伝染しそうな気がするから、大学で使わないようにしないと(笑) 

北條民雄『いのちの初夜』

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北條民雄『いのちの初夜』(東京:角川書店、1997)
角川文庫から出ている北條民雄の著作集。彼のヒット作である「いのちの初夜」を冒頭に置き、それ以外の創作の形式を持つ作品が5点、「癩院記録」「続癩院記録」というルポルタージュ風の作品が2点収められているほか、彼を発見した川端康成による「あとがき」と、同じ療養所の患者で文学を趣味としていた光岡良二による「北條民雄の人と生活」を収録している。これだけが一冊に入っている文庫というのは、学生に課題図書として推薦するのに最高の選定だが、いまチェックしたら品切れになっているらしい。

『いのちの初夜』というのは不思議な小説で、小説のかなりの部分が、主人公のハンセン病患者自身が、同病の患者で重症化しているものの醜さを徹底的に描くことに費やされる。「人間でない」「のっぺら棒」「泥人形」「惨たらしくも情欲的」「陰部までを電光の下にさらして、そこにまで無数の結節が、黒い虫のように点々とできているのだった」「これこそまさしく化物屋敷だ」という扇情的とすら言える言葉が並ぶ。このような言葉でどん底にまで落としておいて、そこから高らかな決意表明が行われる。患者は人間としては死んでいても、そこには「いのち」があるのだ、だからこそ患者たちは再生し、不死鳥のように復活するのだ。新しい思想、新しい眼を持つとき、癩者そのものになりきるとき、びくびくと生きている命が肉体を獲得して復活するのだという。

『改造』に掲載された「癩院記録」「続癩院記録」の個々の内容が、どの程度正確なのかについて私が語る資格はない。しかし、注目するべきなのは、それが含んでいる言語表現の形式である。そこには時間形式の日記が挟み込まれ、患者間の手紙のトランスクリプトが挟み込まれ、患者が書いた詩も引用されている。これらの複数の形式の言語表現が存在することは、まさしく収容型の医療空間の言語の構造をあらわしていることだと私は思う。これは、11月の研究会で少し話してみよう。

戦前の精神病質と再犯の調査

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吉益脩夫「判決時に於ける初犯者の社会的予後」『民族衛生』16, no.1. (1949), 20-26.

大正期から精神医学者が問題にしていた「中間者」という概念を具体的な研究によって調査した論文。昭和6-7年の東京において初犯で判決を受けたものの精神医学的検査を行い、それから相当の年次を経て、再犯しているかどうか成り行きを検査している。

研究資料は合計で328名の青年で、うち精神医学的に正常が61.6%, 精神病質が 22.0%、精神薄弱が7.6%であった。再犯率を調べると、全体で約65%、正常者は56%に対して、精神異常者、特に精神病質者は82%であるから、非常に顕著に再犯率が高い。特に「無力型」という型を除いた精神病質のグループでは87%にのぼる。精神薄弱は72%だが、誤差が大きく、精神病質ほど問題にはならない。精神機能の中で問題になるのは知能自体ではなく、飲酒癖、職業転換(失業)、欠損家庭、就学不全、遺伝負因などである。

(実は、どのような方法で再犯を調べたのかわからない。出版年が1949年というのも謎のひとつだが、あげられている数字などから推察するに終戦前に完結していた研究らしい)

寺内大吉『化城の昭和史』

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寺内大吉『化城の昭和史―二・二六事件への道と日蓮主義者』(東京:中公文庫、1996)
寺内大吉という人物は、私にとってはTBSの番組「キックボクシング」の解説者であった。キックボクシングは、凶器、流血、乱闘といったことが日常茶飯事のプロレスに較べたらはるかに上品な格闘技のショーであり、お堅い中産階級でも一家で揃ってTVを観ることがなんとか可能であった。そのキックボクシングで、ベレー帽をかぶって解説しながら採点していたのが寺内大吉である。当時からこの人は実は物書きだと聞いていたが、二・二六事件と戦前の日蓮主義についての大きな著作を書いているとは思わなかった。

私は初学者であるから、この書物は高級すぎた。人物相関図が複雑で、複数の土地や組織でいろいろな事件が起きるありさまを「日蓮宗」を軸にして、歴史小説風・人物誌的に描くという語り口にうまくなじめずに、この本をうまく理解できなかったような気がする。<満州国建国でも、北一輝の霊感日記でも、死のう団でも、二・二六事件でも、日蓮宗が重要であった>という程度の浅い理解しかできなかった。つまり、日蓮宗の基礎が分かっていないということ、この時代の陸軍の基礎が分かっていないということだろうな。

幸田露伴「一国の首都」

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幸田露伴「一国の首都」
幸田露伴が明治33年に東京の過去と現在と将来を論じた論考である。江戸は300年近くにわたって造られ、生きられ、誇りにされてきたが、その江戸を「破壊して」薩長の侍たちが東京を造り始めてから30年がすぎた時点において書かれた。30年というのは短い時間ではあるが、それほど短いというわけではない。そこで、東京のあり方を批判的に考えようということである。

衛生関係ももちろん議論の対象に入っている。公園は都市の肺臓であり、そこで新陳代謝が行われる。飲用水については、今年の夏季に悪疫が流行したときに、上水上流の支流に無知の愚民が汚物を投入していた事件があったこと、水源地地帯の地方の人民に上水を重視せしめる方策が必要であることを論じる。そして、上水よりも重要なのが、悪水排泄の完備である。現在の東京は、韓国や中国の大都市ほど悪くはないのかもしれないが、下水工事が進んでいない。下水工事が進んだ地域では、土地が乾燥して浄く清潔になる。本所、深川、下谷、浅草の卑湿の地では、溝渠は濁水にあふれ、臭気を放って土地は常に湿っている。これを人為の力をもって改良することこそ、都市を愛すること、首都にふさわしい行為ではないだろうか。溝渠をつくると土地が乾くことは、元来卑湿の地であった浅草新堀の両岸、下谷三味線堀の両岸でもわかる。日本橋と浅草を比べたときに、本来下流にあって卑湿であるはずの日本橋近辺が、繁栄の土地であるため溝渠を縦横に貫通させているために乾いており、一方浅草にはそのような人為がないので卑湿なのである。

月並みな感想だけど、明治の東京に住むということは、歩いて、匂いをかいで、空気の質に触れるということだったのだと改めて思う。その身体の感覚が当時の公衆衛生の改革を支えていた。現在でも、田町や渋谷の駅の近くで、ここは卑湿の地だという感覚を持つことはあるけれども。

塵芥を収集する業者と糞尿を収集する業者の違いについて触れている部分があって、この二つは同じだと漠然と思っていたので、目からうろこが落ちたというか、恥ずかしかったというか。

パノフスキー『<象徴形式>としての遠近法』

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エルヴィン・パノフスキー『<象徴形式>としての遠近法』木田元監訳、川戸れい子・上村清雄訳(東京:ちくま書房、2009)
何の必要だったのか忘れたが、しばらく前に何らかの必要があって買ったけれども読む時間がないままその必要が消えてしまった本である。広い洞察と深い構想力で、生きている間にこの書物を読んでおいてよかったと思わせるような一冊だった。

議論の核は、現在の私たちが慣れ親しんでいる遠近法は、自己の世界のあり方の双方を変革した思想的な構造であり、遠近法を受け入れ、その視覚的・具体的な表現を精神の中に内面化することは、ある象徴形式によって世界を見るようになり、それに合わせて自己を定位する思想上のできごとであったということである。

この書物はもちろん思想史であるが、それと同時に、最重要な素材はいわゆる思想家の著作ではないし、分析の手技も、通常の思想史のように思想的なテキストの中の言葉や概念を問題にするものではない。遠近法で絵を描くということは、世界はどのように見えるべきか・描かれるべきかという問いに対して絵画で答えることであり、そのように世界を見る個人の視覚と精神はどのようなものであるかを無言のうちに言明するものである。このように表面においては非言語的な行為を素材にして、パノフスキーはその思想上の構造を言語化している。その際につかわれる、古代やルネサンスの思想家や美術家の言葉は、行為を無言性から解き放つ役割を果たしているといってよい。

この部分を強調するのは、ここにあるのが、私がずっと考えている、医学理論の歴史と医療行為の歴史を結びつける方法論的な軸はなんだろうかという疑問に対する大きなヒントと範例だからである。かいつまんでいうと、医学史は、医学理論の歴史と医療行為の歴史に分裂した。前者は医学者が使っている理論を、思想上の概念がひろがる空間図の上で分析し、後者は、医療の実践を社会経済文化的なアスペクトで考察している。どちらも目を見張るような成果を生んで素晴らしい洞察を導いたが、両者の成功ゆえに医学史は分裂してきた。しかし、医療の理論だけでなく、その実践も、医者と患者・病気についての思想的な構造を持っているはずである。瀉血法でもロボトミーでもなんでもいいが、治療という行為は、ある思想的な構造も持っている。それを読み解く仕事は、少なくとも私にとっては難しい。その仕事の導きの糸に出会ったといってもいい。

で、何の必要があって読もうとしたのかは、結局思い出せなかったけれども(笑)

マリオ・バルガス=リョサ『継母礼賛』

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マリオ・バルガス=リョサ『継母礼賛』西村英一郎訳(東京:中央公論社、2012)
バルガス=リョサは、ペルーの作家で、2010年にノーベル文学賞を受賞した。作品を読むのは初めて。二日続けて傑作だという記事を書くことは珍しいけれども、この作品も一年に一度出会うかどうかという素晴らしくエロティックな小説である。

主要な登場人物はペルーのリマの郊外に住む父親と息子と継母の3人で、中年を過ぎて妻を亡くしたドン・リゴベルトは、豊かな身体を持つ美しく官能的な女性である40歳のルクレシアと再婚した。前妻との間にできた息子のアルフォンソは中学生ぐらいの年頃である。もうひとり、ルクレシアのメイドであるフスチニアーナが重要な脇役として登場する。この設定を聞くと、『青い体験』を思い出す男性も多いだろうが、まさしくその通りである(笑)父親は美しいルクレシアとのセックスに夢中であり、一方美しく無垢で純真で残酷な少年は、やすやすと継母をベッドに誘う。ストーリーとしては陳腐なものであるが、それが素晴らしい作品になっているのは、バルガス=リョサが、このストーリーを神話と古典と現代芸術と組み合わせて、官能の幻想を紡ぎだしているからである。

この作品は、表紙に掲げられているロンドンのナショナル・ギャラリーの有名なブロンツィーノの『ヴィーナスとキューピッド』をはじめ、全部で7枚の絵画が付されている。ブーシェ、ティツアーノ、フラ・アンジェリコ、フランシス・ベーコンの有名な絵画に加え、ジョルダンス、シシュロといった私が知らない画家や作品も掲げられている。これらの絵画に素材を求めた官能の幻想が、独立した章として作品の中に織り込まれていき、3人が行う愛の場面が、絵画のイメージと共鳴する仕掛けになっている。この3人は、通俗的で陳腐なエロスのストーリーを展開しながら、ルネサンスから現代までのヨーロッパのエロスの想像力の中を生きるようになっている。ティツアーノの震えるような豊かな肉のヴィーナスや、ブーシェの輝くような裸体のディアナが、絵画の世界から出てきてペルーの陳腐な三人組になって官能をつむぎ、逆にその三人が神話の世界に入って行って、その欲望に古典の意味合いが織り込まれる。一方で、特に素晴らしいのが、ベーコンの『頭部 I 』というおぞましく変形した頭部の皮膚標本を描いた作品の世界に、ドン・リゴベルトが「私は怪物だ」といって入っていく部分である。リゴベルトは、『カーマ・スートラ』や『匂う園』に登場する男のように入浴しては体を磨き立ててセックスをする人物だが、それが内面の怪物に変形していくありさまは、おぞけが立つほどエロティックである。

大学生や大学院生は、文化のエロティックな魅力を再発見するために、まさに必読の書だと思う。ケネス・クラーク『ヌード』や、ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』ももちろん引用されている。私が美術史の先生なら、ためらいなく教科書に指定するだろう。いや、医学史でも指定しようかな(笑)

芥川の書簡から

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日曜の午後をゆっくり休んで、芥川龍之介の晩年の書簡を読む。岩波の全集でいうと第20巻である。手紙の文体に感心し、トリヴィアルな些事に軽く驚き、晩年の病気について少し鮮明なイメージを得た。手紙にはきびきびと要件を書きながら品格を保ったものが多い。バートン訳『アラビアン・ナイト』全18巻を上海の古書店から買った値が「150円」とのこと。これは、当時の慶應義塾の一年分の授業料であった。

『日本残酷物語』

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宮本常一・山本周五郎・揖西光速・山代巴監修『日本残酷物語 5 近代の暗黒』(東京:平凡社、1995)
もともとは1959-61年に刊行された同名の書物を再刊した「平凡社ライブラリー」の五巻本の掉尾の一冊。都市のスラム、炭鉱、結核に倒れた紡績女工、貧困と被差別部落に起きた米騒動、北海道の開発の前線の土工、『蟹工船』で有名な漁業労働者、強制連行されて酷使された朝鮮人の労働者など、日本の近代化の暗黒面に光を当てた傑作のルポルタージュである。日本近代化の激動の中で搾取されて孤立化し、凄惨な暴力による懲罰と、酒や博打や女郎などの自滅的な行為の中で破滅に向かって死んでいった人々の記録である。この中には、精神病は大きな問題であった。生来や幼少期からの精神障害を持つ人々や、女郎買いで罹った梅毒の結果の進行麻痺は大きな問題だったし、過酷な生活と消耗は精神病を(おそらく)多発させた。

同じ時期に、東京をはじめとする日本の大都市は繁栄し、大学を中心とする学問や文化的な雑誌もさかえた。ドイツの最新の精神医学が教えられ、最新の治療法は開発されるとすぐに移植され、医師たちは鉄筋コンクリート造りの病院を続々と開業した。これらの病院には、数は諸外国と比べて決して多くないが、公費で患者を受け入れる病床も設けられた。

公費病床のある部分は、本書が描くような社会の底辺層の精神病者によって占められた。私が見ている精神病院の昭和戦前期においては、その割合は決して高くはない。あらましの数字はまだ出せないし、具体的な症例を整理することはできないが、多数派はリスペクタブルな貧民であり、その家庭は貧困に苦しんでいても、まだ患者に定期的に面会することができた。しかし、社会の底辺に沈んでいった患者たちも、たしかに存在する。山形の農家を出て、北海道の漁業労働者になってから東京に移住して土工をしていたものや、娼妓となって梅毒にかかってGPIを発症したもの、朝鮮からの労働者などは、このセクターに分類できる。

ここには、日本近代の光と闇が交錯する姿がある。この姿をきちんととらえることができれば、戦前の精神医学のかたちが幾分ははっきりとわかるのだけれども。

山本茂実『あゝ野麦峠』

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山本茂実『あゝ野麦峠』
近代日本の経済発展のうち輸出を牽引したのは絹の製糸であった。絹糸の輸出で得た外貨は、日清・日露戦争の軍備を整える基礎となり、「女工がお国のために働く」というのは当時の日本にとっての現実そのものであった。長野の諏訪湖畔には、諏訪・岡谷などの製糸の企業が生まれて栄え、明治中期から周辺地域から多くの女工が集められた。その中で、飛騨と信濃の間にある「野麦峠」を超えて多くの女工が製糸工場に行き、成功したものは一年間働いて貯めた金を持って故郷の両親のもとに帰り、病気を得たものは背負われてこの峠を越えた。Wikipedia が言うように、映画は悲惨さを強調した感傷的で単調な作品だが、著作のほうは悲惨さを描くだけでなく、それを近代日本の大きな動きの裏側に確かな仕方で織り込んだ傑作である。

農村から来た娘たちを待っていたのは峻烈な競争社会と能力主義であった。手先が器用で要領がよく、多くの絹糸を上質に紡ぐことができる女工は、「百円女工」という言葉があったように、多額の現金をもらい、それを故郷の両親に持ち帰っては、正月に地元の呉服屋で札びらを切って晴れ着を買うことができた。当然、彼女たちは色々な工場が奪い合うことになった。一方で、能力が低くて手先が不器用か、性格が女工の暮らしへの適性を持たないか、あるいは病気に罹って働けない女工は、工場の監督に非難・折檻され、家に送り返されたりした。結核にかかった女工が家に帰ると、遺伝性の病気として家の恥とされ、家人は患者を隠して外に出さず、子供たちはその家の前を通るときには息をしないで走って行った。できることと言えば、石油や生きた蛙や鶏の生血などの怪しげな民間薬を飲ませるだけであり、金持ちの家では猿の頭や人の生き胆さえ試すこともあったという。

能力と適性によって明暗がくっきりと分かれるさまがあり、その一方で、結核という病気が相手を選ばないかのように女工たちを食い荒らすありさまがある。女工たちを律していた能力主義と過酷な優勝劣敗の体制のなかだったからこそ、結核がもつ無差別な破壊性は際立たされたのだろう。よく調べれば無差別ではなく、いい女工の罹患は低かったのかもしれないけれども、その部分よりも、結核が相手を選ばぬ殺し屋であること、それに見込まれたらたとえ優秀な女工でも逃れようがないことが強調される文脈であった。だから、結核は「国民病」になることができたのだろうか。
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