Braslow, Joel T., “In the Name of Therapeutics: The Practice of Sterlization in a California State Hospital”, Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, 51(1996), 29-51.
カリフォルニアの州立精神病院の記録を用いた研究で、カリフォルニア大学出版局から「医療と社会の歴史」のシリーズで単行本化もされている。精神医療の社会史の中でもスタンダードな方法で、患者の症例誌から臨床的な力学を再構成し、それを当時の社会の動きと連関させるという手法である。その中で、アメリカの優生主義と断種が、カリフォルニアの州立精神病院の臨床の現場においてはどのような意味を持っていたかという、大きな問題を具体性の焦点において検証する、社会史のお手本のような論文である。
優生学の歴史の研究は大いに進展したが、主に国家の優生政策や医者が書いたものを用いた研究で、優生が「実施された」部分にはあまり光が当てられていない。断種手術については、立法化されて断種の対象が定められ、実施する行政のメカニズムが確定された後で、どの個人が断種されるのにふさわしいかを判断し、それを実際に行うという最も重要な断種の核心というべき行為がある。これについては、欧米でも研究はあまり進んでいなかったが、ナチスの研究において、断種から安楽死へそして大量虐殺という政策を実行した医師たちの位置づけをめぐる論争で、議論の核が明らかになった。つまり、ナチスの政策を実施した医者たちにとって、断種から安楽死というのは、患者に対する医療であったのか、それとも政策に従うことであったのかという問題、あるいは、両者が混合していたなら、どのような構造で混合していたのかという問題であった。この論文は、ナチスの医療をめぐる研究の文脈から、政策に従うことと臨床的な判断という二つの角を取り出して来て、両者の関係をカリフォルニアの文脈で示す。
カリフォルニアはアメリカにおける断種の先進地域であった。1921年には、アメリカ全体の断種の80%はカリフォルニアが行っていた。1909年には圧倒的多数か満場一致で断種法を通した。この法律は優生学というより、その手術が行われた個人に益となる影響を与えることが記されていた。(性的犯罪者などを対象に含んでいたためであろう)それに対して、1917年の改訂では、優生学的な考慮が全面に出た。優生学は、断種という行為を、社会から不適格者を減らすための手段としてとらえ、その目標を正当化する科学として機能していた。しかし、医師たちの多くは、断種をこのような意味にとっていなかった。彼らは、断種に治療的な行為としての意味を見出していた。断種を行うと、その個人の精神的・身体的な健康が改善するのである。男性については、断種が治療行為であるのは「当たり前」であった。当時はホルモンの夢のような効果を語るワンダードラッグが医学界を席巻し、スタイナッハのヴァゼクトミーはフロイトやイエイツを含む多くの男性が受けてその効果が謳われていた。断種手術は積極的に治療行為であると受け入れられていた。一方、女性については事情は異なっていた。女性の断種とは、子供が多かったり、望まない妊娠をしたりするなど、不幸な家庭生活に決定的な打撃を与えるだけでなく、その不安がさらに女性の精神を苦しめる妊娠をふせぐ、文化的に受け入れることができる方法であった。(当時、中絶も避妊も、それ自体が非合法であったり、あるいはそこに非合法性が寄り添う行為であった)
つまり、カリフォルニアに存在したのは、政治と臨床が異なる道を通って「断種」をめぐる結果的な合致に至った構造であった。一方には、優生学を社会の改善の手段であると主張する法律家・医療政治家・医療言論者があり、もう一方には、それを治療効果がある医療であると考えている臨床医たちがいた。この結果的な一致が断種を可能にし、盛んに実施せしめたのである。