ウェルズ『タイム・マシン』
必要があって、H.G. ウェルズのSFの古典である『タイム・マシン』(1895)をチェックする。「次元」の概念に時間を導入して、二次元や三次元における平面や空間での移動ができるのと同じ理屈で、時間軸上も自由に移動することができるというアイデアは、その後の無数のSFで利用されることになった。それと同じくらい重要なことが、この作品は、進化論と優生学の思想に大きく影響されていることである。この作品が描くことは、19世紀末のイギリス社会における人間が、どのように分岐して進化していくかである。今まで気がつかなかったが、この作品は教材として最適である。学部1・2年生向けに優生学を教える教材として、ふつうナチズムの素材を使うことが多いだろうけれども、優生学はホロコーストや断種の倫理性よりもはるかに射程が広い思想であったことがよくわかる。
必要があって、H.G. ウェルズのSFの古典である『タイム・マシン』(1895)をチェックする。「次元」の概念に時間を導入して、二次元や三次元における平面や空間での移動ができるのと同じ理屈で、時間軸上も自由に移動することができるというアイデアは、その後の無数のSFで利用されることになった。それと同じくらい重要なことが、この作品は、進化論と優生学の思想に大きく影響されていることである。この作品が描くことは、19世紀末のイギリス社会における人間が、どのように分岐して進化していくかである。今まで気がつかなかったが、この作品は教材として最適である。学部1・2年生向けに優生学を教える教材として、ふつうナチズムの素材を使うことが多いだろうけれども、優生学はホロコーストや断種の倫理性よりもはるかに射程が広い思想であったことがよくわかる。
タイム・トラベラーが向かった80万年後のロンドン近郊の未来世界には、文明の活動らしいものは何もなかった。廃墟と美しい草原が広がり、そこに未来人たちが棲んでいた。未来人たちは、子供のように小さく、少女のようにふっくりたそた体つきで、温和であって、男女の区別が希薄であった。文明が進んで、病気も雑草もなくなり、自然の荒々しさが完全に支配された結果、男の闘争心も女の優しさも必要なくなったからである。彼らは知能も高くなく、労働する意思もなく、ただ温和無為の中で過ごしている。「飽和状態に達したエネルギーは活動を止める。それは、最初は芸術とエロティシズムにおもむき、やがて無気力と退廃に終わる宿命なのだ。」
ところが、タイム・マシンが未来世界で何者かに隠されるという大事件が起き、それを探すうちに、未来には別の世界があり、そこには別種の人類が棲んでいることが明らかになる。タイム・トラベラーが最初にあった無為温和な人種は地上に住んでいるが、地下には、違う体つきの人種が棲んでいた。地下生活のために彼らの体は青白くなり、目は闇の中で赤く光るが、これは実は見ることができない。地下人たちは地上人よりも獰猛で攻撃的で、タイム・トラベラーもしばしば襲われ、地上人たちは地下人と暗闇を恐れている。親しくなった地上人から、地上人はエロイ、地下人はモーロックと呼ばれていることがわかる。
タイム・トラベラーは、当初は、この二つの人種は、19世紀末の資本家と労働者が分かれて進化したものであると思っていた。19世紀の末の両者の生活を見れば、この進化も明らかではないか。資本家たちは高等教育を受け、洗練された生活をし、労働者たちを排除して広大な私有地を持ち、異なる階級間の結婚もなくなっていた。「地上では富める者だけが快楽と安寧を求める生活を送るいっぽう、貧しい労働者は地下に追いやられ、そこで労働だけに従事する。」その結果、労働者は地下生活に適応して進化し、資本家は地上で無為の生活に適応した。
しかし、タイム・トラベラーに明らかになった現実は、それよりもどす黒いものだった。モーロックは、単にさげすまれたのではなく、むしろ、無為になったエロイたちを食う人肉食者になっていた。エロイたちは、モーロックに飼育され、餌となり、あるいは繁殖すらさせられている家畜となっていた。資本家たちは、進化が進むにつれて、残忍な復讐をされたのである。「人類は、同胞を搾取し、必要性という言葉をスローガンに、安逸の生活を送ってきた。しかし、やがて、この必要性という怪物に復讐された」のであった。